「あーっ、あたしも彼氏が欲しかぁっ!!」
 
 放課後の音楽準備室に声が響いた。切実な思いを込めた叫び声。
 
 誰の声かって?
 
 早良(さわら) 絵里(えり)
 
 花も恥じらう中三女子。吹奏楽部部員。ふんわりと巻いた明るい栗色の髪。大きな瞳に長いまつ毛、少しふっくらとした頬。ぽってりとした唇がとても愛くるしく、透き通るような白い肌はまるで降り積もった雪の様だ。
 
 そう、あたしの心の叫びである。
 
「はぁ、あんたさ、急に大声出してなんば言いよっと?」
 
 向かい合って座っている加奈子(かなこ)が呆れた顔をしてあたしを見ている。しかも、あからさまに大きな溜息をついて。
 
「だってぇ……千佳(ちか)柏木(かしわぎ)ちゃんも彼氏おって幸せそうやん?」
 
「やけんってさ……」
 
「やっぱ、あたしが運動部じゃないけん?」
 
 また一つ溜息。あたしはそんな加奈子に顔をぐいっと近付ける。すると加奈子がそれを押し退けた。
 
「近かって絵里。いや、それは関係ないやろ?ていうかさ、あんた、好きな人とかおるん?」
 
 好きな人……いない。そもそも、誰かを恋愛的な意味で好きになった事さえない。初恋さえまだなのである。
 
「……おらん」
 
 小さな声でもごもごと答えたあたしに、また加奈子が溜息をついた。これで三回目。かなり呆れている。
 
「おらんなら無理やろ?好きでもない男子と付き合うん?」
 
「それは……嫌」
 
「そうやろ?なら、まずさ、あんたは恋をせんね。彼氏はそれからたい」
 
 真っ当なお言葉である。いくら彼氏が欲しいとはいえ、誰でも良い訳では無い。来る者拒まずではない。やっぱり相思相愛じゃなきゃ幸せになれない……と思う。
 
「……ねぇ、加奈子。恋ってどんなん?」
 
「私に聞かれても……」
 
 急に口篭る加奈子に、またあたしは顔を近付けた。今度はそれを押し退けずに顔を反らしただけだった。
 
「なんで?加奈子、二組の齋藤(さいとう)の事、好いとるって言っとたやん?」
 
「……ぐっ!!」
 
 言葉に詰まる加奈子。
 
「どんな感じなん?」
 
「……どんなって……なんて言うかさ……知らず知らずのうちに目で追っとったり……探しとったり……なんか……考えるときゅっとなって……って、なんば言わせるとねっ!!恥ずかしかっ!!」
 
 思いっきり額を叩かれた。加奈子の顔が真っ赤になっている。耳まで赤い。ぱたぱたと両手で顔を仰いでいる加奈子。これが恋をしてる女子の顔なのかなぁ……
 
「そっかぁ……そんな男子、あたしにはおらん……」
 
 しょんぼりと頭を垂れるあたしにふわりとした笑顔になった加奈子が、あたしの頭にぽんっと手を置いた。
 
「焦んなくても良かっちゃない?恋ってさ、気付いたらしてるもんだと思うし」
 
「気付いたらしてる……もんなのかぁ」
 
「はいはい、この話しは終わり。早う準備しよう」
 
 部活が終わり加奈子と正門の所まで一緒にかえる。だけど、加奈子は正門を左に、あたしは右。
 
「じゃあね、絵里」
 
「バイバイ、加奈子」
 
 加奈子と分かれて一人で歩いていると、さっきの加奈子の顔を思い出す。
 
 可愛かったなぁ……真っ赤になって。
 
 本当に齋藤の事が大好きなんだろう……
 
 そう思うとなぜか胸の奥がちくりとした。なんだろう……初めての感覚だ。
 
 加奈子とは部活で知り合った。それから一緒にいる事が多くなり、当たり前の日常となった。瞼を閉じるとすぐに加奈子の笑顔が思い浮かぶ。
 
 齋藤よりもあたしの方が……
 
 ……あれ、なんで?
 
 加奈子の事を思うと胸が苦しい。あんな加奈子の顔なんて見たくなかった。恋する乙女。また、ちくりとする。
 
 なんだろう……この胸のもやもやは。この痛みは。
 
 大きく息を吸った。これ以上、肺に入りきれないくらいに息を吸った。
 
 そして、それをふわぁっと吐き出した。胸のもやもやを吹き飛ばす様に、この痛みを和らげる様に。