「そんならさ、うちら付き合わん?」
 
 三月初めの土曜日。俺は体育館の外壁に腰を下ろして休んでいた所に同じ陸上部の女子、香椎(かしい)がやって来て隣に腰を下ろした。そして、ふわぁっと大きな背伸びをすると、俺の方へ顔を向けて口を開いた。
 
「ねぇ、突然ばってんさ……三井(みつい)、あんた、彼女おるん?」
 
「本当に突然やね……残念ばってん俺に彼女がおらん事くらい、お前、知っとろうもん」
 
 俺はこいつ、香椎とは結構仲が良い。同じクラスで陸上部。だから、俺に彼女がいるかいないか位は知っている筈だ。
 
「確かに、知っとる。ならさ、好きな女子は?」
 
 これは予測できてい質問だ。
 
「うぅん……おらんねぇ」
 
「そったい」
 
 嘘偽りなく本音だ。特に俺にはそんな女子はいない。だけど、香椎がわざわざ俺にこんな質問をしてくるのは疑問であるし、一方的に自分だけ聞かれるのも嫌だった。
 
「てか、お前はどげんなん?」
 
「うち?うちはあんたも知っとるやろうばってん、彼氏はおらん。それに、好きな男子もおらんねぇ」
 
「ふぅん」
 
 香椎に付き合っている奴が居ないことは知っていたけど、好きな男子がいない事には、少し驚いた。いつも、他の女子達と恋バナとかして盛り上がっている所を何度も見かけたからだ。
 
「てかさ、うちさ、好きとか恋愛とか良く分からんとやん。恋愛の好きって、友達同士の好きとは違うとやろ?それに、よくみんな言うやん?胸がきゅんってなるとかなんとか……そんなん、一度も経験なかしね。やけんさ、うちさ、そんなん分からん。本音はさ、恋バナとか苦手っちゃんね」
 
 そう言いながらぽりぽりと頭を掻いている香椎。本音だろうな。確信はないけどふと思ってしまった。
 
「あぁ、分かるわ、それ」
 
「なん?あんたに恋愛とか分かるん?」
 
 驚いた表情で俺を見る香椎に、ひらひらと手を振る。なんでこの年で、恋愛が分かるか。
 
「違う違う。そっちの分かるじゃなか。お前ん言っとる事が分かるっち事たい」
 
 そして、ふぅっと一つ、溜息をついて言葉を続ける。
 
「例えばさ、誰々が可愛いとか、スタイルが良いとか言う気持ちは、全然、その好きとは違うやろうし、エロい事考えてするドキドキと、恋愛で誰かを好きになったドキドキは違うとやろ?」
 
「エロい事ば考えてって……あんた」
 
 俺の話しに香椎が、少し呆れた顔をしてこちらを見ている。また、一つ溜息が出てしまう。
 
「例えばの話し。俺も言われてみればさ、無いんよね、そんなん事なったの」
 
 考え事をしている様子の香椎。そして、何か思いついたのか、うんと一人頷いた。
 
「そんならさ、うちら付き合わん?」
 
「はぁ?!付き合うって……別にお前って、俺の事ば好いとるわけじゃなかとやろ?」
 
「うん、そうばい」
 
「そ、そ、そうばいって……なんで、また」
 
 香椎の突然の申し出に動揺を隠せない俺。そんな俺の慌てふためいている様子などお構い無しに、落ち着いている香椎は話しを続けた。
 
「やけんさ、お互い、恋愛の好きがよう分からんわけやん?ならさ、うちら付き合ってみれば分かるんやない?」
 
「……短絡的思考や」
 
 付き合えってみれば分かる?なんだそれ?俺はこいつがこんなにも突拍子のない奴だとは思ってもいなかった。
 
「まぁ、期間限定でさ」
 
「期間限定って、一週間?一ヶ月?」
 
「一週間や一ヶ月で分かるもんね?そうやね……三年の夏休み終わるまで、約半年」
 
「約半年かぁ……長くなか?」
 
 半年も恋人ごっこをするのは、どうなのか?その間の期間が勿体なくないか?
 
「まぁ、その間に他の誰かば好きになったら、それで終了すれば良かやん?」
 
 しかし、香椎は俺の心の中を読んでいるかの様に言う。
 
「でさ、期間が終わる時に終わりたくなかっち思ったら、それは互いに好きになったって事やろうし、どげんも思わんやったら、互いに好きにならんやったって事で」
 
 さらりと言い放つ。そして、俺はふと考えた。付き合うというのは、男女交際。色々とお試しできるのか?
 
「でもさ、お前……付き合うって事は……色々するとやろ?」
 
 思わず俺は香椎へと尋ねてみた。ここはきちんと確認しとかないと。
 
「あんた……色々って……よし、ルール。お試し期間中はエロい事は禁止。まぁ、手ば繋いでデート位なら良かけどさ」
 
「エロい事禁止かぁ……」
 
「禁止」
 
 俺がそう呟くと、香椎がすこし笑いながら釘を刺した。
 
「で、どげんする?」
 
 つっと俺の方へと体を寄せた香椎。その目は決して俺をからかっている様には見えなかった。なにがこいつをそんなに動かすのだろう?俺はほんの少しだけ、香椎に興味を抱いた。
 
 付き合ってみよう。
 
 そしたら恋愛の事も、香椎の事も何か分かるのかもしれないから。
 
「わかった。なら、今日からよろしく」
 
「うん、よろしく」
 
 香椎が俺へと片手を差し伸べてくる。俺はその手を握ると、ふわっと優しく微笑んだ。俺の手を握り締めるその手は、思ったよりも小さくて柔らかかった。