「あかん、捕り方や。逃げろ。」



ピィーーーーー、と小屋の外から鋭い呼び子の音が聞こえます。
乱闘騒ぎが街に伝わって役人が取り締まりを始めたのでした。
怒号を酒の肴にしていた客たちも、疑いをかけられてはかなわないと
蜘蛛の子を散らすように小屋から飛び出していきます。



「後は任せとくれやす。あんたらも早う行き。」



「悪いな。この借りはいずれ返す。」



芝居小屋の主が舞台の蔵之進に呼びかけます。
朧月党どもはと言えば、役者たちがぐるぐる巻きに縛るか
まだ気を失ったまま檜舞台のあちこちで伸びているかのどちらかでした。



「そんなら、また舞台でも上がってもらいましょか。」

「なんとゆうても江戸は萬鳥(ばんちょう)屋さんのお墨付きですよって。」



小屋の主の言葉に、虎も射殺すような目を蔵之進が向けました。
それか蔵之進自身が虎で、その尾を踏まれたかのような有り様です。
萬鳥屋。その名前は蔵之進という男のタブーのようでした。



「進さん、萬鳥屋って……。」



「……バレてたと知ってたら、もっと早く三くだり半を叩きつけたのによ。」

「あんたも狐だな。」



お紅には何のことかわかりません。警戒したような顔の蔵之進と、
その険しい表情を柳のようにいなす小屋の主の間で戸惑っていました。



「まあま、あたしも舞台で顔を見たのは江戸にくだった時の一度きり。
 今は年寄りの耄碌ということにしときます。どうぞご安心を。」



「ち、お前とも話はあとだベニ公。とっととずらかろうぜ。」



「いいんですか?その……あぶないことをして、すみませんでした。」



踵を返す蔵之進に、お紅はばつが悪そうに切り出しました。
そんなお紅に蔵之進は含みがあるように軽くにかっと笑います。



「芝居、最後の台詞がまだだったな。」

「はァーーーーーーあ。迷惑千万とくらぁ。」



今でも花道と言いますように、幕切れの退場こそが役者の華。
これぞ大役者の六法とばかり、客をかき分けかき分け颯爽と蔵之進が進みます。
言葉こそ蔵之進と暮らす中で何度も聞いた憎まれ口ではありましたが、
お紅にはどこか爽やかさがこもっているように聞こえたのです。



この人に私は迷惑をかけ続けるかもしれない。
けれど自分もこの人に出来ることはしよう。できれば、これからも。
小屋の外へと走り出す蔵之進の背中を追いかける時、お紅はそう思いました。



この騒ぎの続きは、またいずれの時に。