「誰か、誰か助けて……誰かっ!!」



さきほど橋のたもとで憂き世にさらばと告げたことなど、
お紅の頭からとっくに消え去ってしまいました。
もがきにもがいて川から顔を出し、
腹にめいっぱい空気を吸い込んで叫びに叫んだのでありました。


湿った帯が体に食い込むのもなんのその。
お紅は簪から草履まで濡れ鼠になって川べりまで泳ぎ着きます。
無我夢中で土左衛門の男のたもとなんぞも掴んだ気がしますが、
そんなことはこの時のお紅が気にする暇もないのです。



世をはかなんだ割にはこの娘、そのへんを歩く人々より
よほど元気はつらつとしております。
みずからの境遇にしおれていただけで、
根っこは活気のある娘なのかも知れません。



「ヤ、なんだ娘だ。」

「捨て置けッ、それより例のものだ。」

「しかしあの声では。人が来るぞ。」



ちょうどよく、橋より数人の男が身を乗り出してお紅を眺めております。
川岸へ足早に駆けつけてくる男達に、
お紅の命運いまだ尽きまじ。そう思われたのですが……。



「お侍さま、ご心配くださり……なんとお礼を言っていいのか……。」



「エエイ、この女(あま)め。我らの邪魔をしおって。」

「や、やっ。こやつの持っているもの。もしや。」

「それを見られたからには仕方がない。
 我らが志の礎(いしずえ)となれい。」



のんきに三指ついてお礼申し上げるお紅の前に、
憤懣やるかたない顔がひとつ、ふたつ、みっつ。



薄汚れてあまり上等でない袴姿は、
いわゆる浪士と呼ばれる者たちのそれでした。
三人のうちがっしりした体で目の鋭い男は腰の大刀を抜いて、
眼(まなこ)ともどもギラリと光らせております。



「何を、何をなさります。目の前で助かった命をまた殺すなんて。
 あんまりですっ。」



娘が握りしめていた紙切れを見るや、男達は殺気立っていました。
お紅はお紅で死のうとしていたにしては理不尽な言い草ですが、
誰だって殺されるのは怖いのです。



業物(わざもの)となまくら刀の違いが分からないお紅でも、
銀色の切っ先が肉に食い込めば痛いことぐらい知っています。
白くてつやつやとしている肌を、お紅はこっそりと自慢にしているのです。



それをあんな怖いもので引き裂こうと言うのです。
いやだ、いやだ、いやだ。助けて。
死のうとしたことも、生まれてきてから今までの何もかも謝りますから、
仏様でも神様でも助けて。



水滴がぼとぼとと落ちる裾は膝の上までめくれて
娘らしい曲線を見せています。
せめて最後くらいはと丁寧に結った髷も今や見る陰もありません。



こんなみじめな姿で斬り死にすると思うと、お紅は涙が止まらなくなりました。