玄関に入ると、俺が幼い頃から住み込みで家政婦を務めてくれている矢田さんが駆け寄ってきた。

「おかえりなさいませ、優星坊ちゃま」

 昔と変わらない呼び名で呼ばれ、気恥ずかしい気持ちになる。

「矢田さん、いい加減にその〝坊ちゃま〟はやめてくれませんか?」

 靴を脱ぎながら言っても、矢田さんは笑うだけ。

「いいじゃないですか、いくつになっても私にとって優星坊ちゃまは、優星坊ちゃまなんですから」

「そうは言っても、俺ももう二十九歳ですよ?」

 五十五歳になる矢田さんから見たら、俺はちょうど子供みたいな年齢なのかもしれないが、来年には三十歳になるのだからやはり恥ずかしいものがある。

「せめて家の外では絶対に呼ばないでください」

「はいはい、わかりましたよ」

 軽くあしらい、「珈琲でも淹れましょう」と言う矢田さんの後を追って廊下を進む。すると母が階段から降りてきた。

「おかえり、優星。ちょっといいかしら」

「なに? 帰って早々に」

「いいから来なさい。矢田さん、優星と話があるから悪いけど珈琲はあとにしてくれる?」

 厳しい口調で言い、母はリビングに来るよう目で促す。