第1話 全ての始まり

「…もう朝…うっ」
胸らへんの嫌悪感、吐き気。
「今日学校だ…。あぁーーやだなぁぁ」
そう枕に叫び、気を取り直して布団から起き上がる。
短い髪を手ぐしでかき分けながら窓を開け、空に向かって大きく深呼吸をする。
改めて空を見上げると、雲ひとつない青空でまさに快晴だった。
「ふあぁ…ねむ…。」
時計を見ると、朝の七時だった。
「とりあえずお風呂入ろうかな…。」

花宮想楽(はなみや そら)、12歳。
小学校を卒業したばかりの、
できたてほやほやの中学生。
運動も勉強もそこそこできる、クラスの中心的存在だった。
友達も多く明るく積極的な性格だった想楽は、無遅刻無欠席の皆勤賞の持ち主で、
周りからは怖いもの無しに見えた。

だが、そんな想楽にも怖いものが2つだけある。

それは、母親と成人済みの男の人だ。

毎日殴り、蹴ってくる。
暴言交じりの命令口調な母。
物心着いた頃には片親だったことから、
想楽には守ってくれる存在がいなかった。
少し反抗すれば、風呂に貯めてある冷たい水に顔を押し付けられる。
そんな生活を当たり前とした環境で育ってきた想楽からして、母親は怖い人だった。
だが今まで育ててきてくれた母親を恨むことなど到底できる訳もなく、時折見せてくれる笑顔の母が大好きだった。
だが、怖い。
それが、想楽にとっての母だ。

そして最後のひとつが、成人済の男性。
どういうことかと言うと、文字通り20↑の男性のことだ。
小学校時代では三年ごとのクラス替えだった為、運良く1度も男性の担任になった事が無かった想楽は、極力男の人と関わらないように生活していた。
そのためか、想楽の男の人へのイメージは
とても酷いものだった。
『背が高く力のある男の人は何をしてくるか分からない。きっと母親より怖い。』
そう考えていた想楽は、
ずっと男の人が怖かった。
近くで男の人が手を挙げているだけで、殴られるのではとビクビクしてしまう。
なんなら、近くで歩いているだけでも緊張と不安で息があがってしまうレベルだった。

母親と男の人が苦手。
そんな大きな欠点を持った想楽が、中学校に進学する。

そんな想楽が一番不安だったのは、
やはり新しく担任となる先生の性別だった。
もし男の人だったら、学校生活を脅えて過ごすことになってしまうだろう。
もし担任が男の人になってしまったら…。
そう考えただけで不安で吐き気がした。

『胸ら辺の嫌悪感、吐き気。』
その事から、想楽は不安で朝から体調が悪かったのだ。

「母さん、おはよう」
リビングに行き、珍しくキッチンに立っていた母親に、いつも通り声をかける。
「あんた今日学校じゃないの?暇なら洗濯物干して。」
「わかった。ごめんなさい。」
想楽は、母と話す時必ず語尾に"ごめんなさい"と付ける。
癖だ。
謝らなければ、母の機嫌を損ねてしまう。
たった数秒の会話を終え、想楽は洗濯物に取り掛かる。
慣れた手つきで、洗濯バサミに洗い終わった衣服をぶら下げる。
パパっと終わらせ、そのままお風呂に入った。
小学生の頃にバスケをやっていた影響で、
想楽は髪が短い。
そして声も低いため、よく男の子に間違われた。
仕草がかわいいと評判の想楽だが、
想楽にはその自覚はない。
特別胸が大きい訳でもないので、女の子らしいところと言えばそこだけだった。
いつも通りシャンプーをし、念入りに体を洗い、洗顔をする。
お風呂を終え、濡れた体をタオルで拭く。
お風呂が終わりさっぱりした気持ちで自室に戻ると、窓を開けっ放しにしていたからか、部屋は涼しく風が心地よかった。
手早く髪を乾かし時計を見ると、
七時四十五分だった。
慣れない新しい制服を着て、少し早めに家を出た。

登校中は、これからの事ばかり考えていた。
だが、一つだけ心に決めていたことがあった。
それは、中学校では目立たず大人しく過ごそう ということだった。
後の自分に後悔しないようにと、想楽なりに考えた結果がこれだった。
そして一番の問題は、担任の性別。
女の人だといいな、男の人じゃないといいな。そんなことを永遠と考えながら、吐き気を我慢し学校に行った。

教室に着くと、見慣れない子ばかりだった。
同じ小学校だった子とは違う地域に住んでいた想楽は、1人だけポツンと、見知らぬ地に足を踏み入れていた。

クラス表を見ると、当たり前に知っている名前の子は一人もいなかった。
担任の名前を見ると、佐藤、とだけ表記されていた。
下の名前がなかったことから、想楽の心臓はより激しく音を立てた。
目眩もする。
そして、友達も一人もいない。

あれ、友達ってどうやって作るんだっけ?
担任の先生、男だったらどうしよう。
ああ、どうしよう、気持ち悪い。

頭に、ぐるぐるした何かがまとわりついて離れない。
そんな時、
「はーい、席について〜」
という声がした。
「まさか…」
そう。
現実とは厳しいものだ。
担任は、男の先生だったのだ。
(〜!!!!!!??!?!?)
言葉にならない叫びが、心の中で響き渡る。
(え、男の人、だよね?男装?いやそんなわけないか、え、どうしよう、…)
想楽の頭は大混乱だった。
どうすることも出来ず話が進んでいき、
自己紹介する時になってようやく頭の整理がついた。

佐藤「はいーじゃあ次は…花宮さんかな?」
想楽「あ、えっと、はじめまして。○○○小学校から来ました、花宮想楽です。あ、えっと…」
佐藤「あれ、緊張してる?じゃあ〜好きな教科は?」
想楽「あ…英語です」
佐藤「英語なんだ!俺の担当教科英語だから、一緒にがんばろうね」
想楽「はい、これからよろしくお願いします」

たったこれだけの会話は、想楽にとっては
すごく長い時間に感じた。
心臓は音を立て、激しく動いている。
息がしづらい。
(喋ってしまった。怒られるかな。変なこと言ったっけ。どうしよう、こわい)
不安で仕方がなかった。
自己紹介の時間はその事しか考えておらず、想楽は結局担任の先生の名前を覚えることしか出来なかった。

キーンコーンカーンコーン

(!!おわった!!)
佐藤「はい、じゃあこれでちょうど自己紹介を終わります。気をつけ、礼。」
私「おわったぁぁ…」
佐藤「なにやってんの」
私「わあ!!!!」
距離が近かった
まさか話しかけられると思ってなかった私は、素直すぎる叫び声に自分でも驚いた。
佐藤「んおっ、さっき具合悪そうじゃなかった?大丈夫?」
私「大丈夫です、」
今、私は、男の人と話している。
下手したら殴られるかもしれない。
そうかんがえるだけで、想楽は息が荒くなった。
呼吸ができない。
どんどん目の前が白くなっていく。

佐藤「おうおうおう大丈夫か?」
私「あ…はっ…」
はいと言えなかった。
後々副担に教えてもらったが、
私はこの時重度のパニックだったらしい。
佐藤「おいダメだ、保健室行くぞ」
そう言われ、腕を引っ張られる。
こわい、殴られる
そう思ったが、佐藤先生の目は優しかった。
本気で心配している、真剣な目。
『この人なら大丈夫かもしれない』
何故か、そう思うことが出来た。
佐藤先生に身を任せ、保健室まで移動した。

そして目覚めたら、保健室だった。
新しい布団、嗅いだことの無い匂い。
佐藤「起きた?」
右をむくと、担任の佐藤先生がいた。
どうやら死ぬように寝ていたらしい。
佐藤「体調悪かったんなら、すぐ言ってくれればいいのに…。戻れそ?」
私「あ、はい…」
佐藤「はい、じゃあ。どうぞ」

何だこのポーズは
私「へ?」
佐藤「? 乗れよ。まだふらついてんだろ」

ええええええ
おかしい
今日初日だよね?
え?
なんでこうなった?