「──さすがヴァルト様だな! まさかクロムをお姫様抱っこして崖を飛び降りるなんて」
「その後は野生の熊に飛び乗って王宮まで走ったそうだぞ」
「え!! じゃあこの肉は殿下が捕って来たのか!?」
「すげぇ!! ありがたく食えよお前ら!」

 たかが数刻前の話がどうやったらそこまで飛躍するのでしょうか。
 正確にはクロムを抱えて崖を滑り下り、寝ぼけて襲い掛かって来た熊を半狂乱で蹴り倒して王宮に逃げ込んだだけですのに。
 このお肉は普通に牛肉ですわよ!

「うーん、あの一帯に熊はいないはずなんですけど……迷い込んでしまったんでしょうか」
「え?」

 王宮内の共同食堂で食事をしていると、隣からそんな不穏な呟きが聞こえました。見れば、上の空な様子で料理を食べるクロムがそこにいます。
 彼は私の視線に気付くと、はっと取り繕うように笑みを浮かべました。

「あっ、いえ。あの熊は皆さんで処理していただきましたが、後でセイラム様にもお伝えした方がよろしいかもしれません。城下に被害が出るといけないですし……」

 それもそうですわね。ヴァルト様のお体があまりにも強靭すぎて、危険な熊に遭遇しても普通に生き永らえていますけれど、これは由々しき事態です。
 クロムの勧めに従ってご報告を──ああでも、またセイラム様のお仕事が増えてしまいます。忙しすぎて、そろそろ干物のようになってしまうのではないでしょうか。まあまあ心配ですわ。

「ヴァルト様、ヴァルト様! 今日ずっとお聞きしたかったんですよ!」
「はっ?」

 すると急に周囲が騒がしくなり、私とクロムはテーブルの向かいにやって来た数人の騎士を見遣りました。
 皆様は何故だか興奮した様子で息を荒げています。おかしいですわね、食堂にお酒は用意されていないはずですけれど。

「──あの絶世の美女、ローレント伯爵令嬢と頻繁にお会いしているそうじゃないですか!」
「やだ~!! 美女だなんて誰がそんなこと仰いましたの~!?」

 しまった、つい嬉しくて本音が出てしまいましたわ。
 きょとんとしている彼らに大袈裟な咳払いをして、私はにやつく頬を抑え付けました。

「す、すまない。今のはローレント嬢の真似だ」
「ええ……!? やはり親しくされていらっしゃるんですね……!?」
「いや、親しいというほどでは……」
「だって毒キノコを食べた令嬢を自らお迎えに上がられたんでしょう!? あの気難しいセイラム様も黙認されていますし、これはもう結婚間近だろうって俺たち期待してるんですよ!」

 まぁどうしましょう、そんな噂が流れているなんて。
 ですが仕方がないことかもしれません。ヴァルト様と私が殆ど毎日顔を合わせているのは事実ですし、呪術師が見付かるまでは近くにいた方が何かと安全ですし……。
 いえいえ、ここはしっかり否定しておきませんと。何せヴァルト様は私の姿を見て老婆やら骨付きチキンやら散々ひどいことを仰ったんですもの。
 つまり、あくまで私たちは同じ被害者として行動を共にしているだけですわ!

「ごほん。結婚なんて考えてない。キガフレールダケの研究に必要だから王宮に滞在しているだけで、すぞ」
「またまたぁ、ヴァルト様が意外と面食いってのは俺たちも知ってるんですからね」
「面食い!?」

 あ、あのヴァルト様が!?
 はしたなくあんぐりと口を開けていると、皆さまが意地の悪いお顔で笑いました。

「蒼鷲のサロンに花を替えに来てくれる美人の侍女とか、隣国のルボニーア姫とか! じっと見詰めてたじゃないですか!」
「あと朝は洗濯中のメイドもよく見てるよな」

 な、何てこと! ヴァルト様ったらふしだらな御方でしたのね!
 というか何故そこまで女性に興味を示しておきながら私にはボロクソ言うんですの!? 何となくムカつきますわね!
 私がつい無意識のうちに眉間を寄せていると、彼らには鬼か般若のように見えたのか、慌ただしく食事に戻ってしまいました。
 こうなったら明日、その美人侍女とメイドのお顔ぐらいは拝んでおかなきゃいけませんわね。それでヴァルト様に嫌味の一つでも言ってやりますわ!

 ──と思って翌朝、件の侍女とメイドを確認しに向かったのですけれど。

「…………ああ……」

 サロンにやって来た侍女は一般的な女性よりも背が高くスラリとしていて、スカートの裾から覗いた脹脛は少しばかり筋肉質でした。
 そして大量の洗濯をしているメイドも幼げな顔立ちながら、腕捲りをした両腕に程よく美しい筋肉が付いています。
 まさかと思い隣国のルボニーア姫についてセイラム様にお聞きしてみたら、案の定とっても勇ましいお姿らしく、聞けば戦乙女の異名を冠する女傑だそうで。

「……筋肉を……見ていましたのね」

 馬鹿馬鹿しくなったので、私は大人しくその後でセイラム様に熊の件をお伝えしたのでした。