人事部で岬の配偶者である先輩の加瀬さん曰く、失踪する前日まで本当にいつもと変わった様子はなかったそうだ。

 普通に朝飯食って、一緒に出勤して。部署が違う二人は別れて、いつも通り定時に帰路を共にしようとしたら「先に帰ってて」のメッセージを最期に、岬と連絡が取れなくなった。


 前述した通り美人になった。ましてや、人事部でも評判のいい、婚期を逃したことで会社の独身女性の最後の砦とも称された高学歴・高身長・高収入おまけに顔が良くて優しい加瀬さんと結婚したことで、岬の人生というのは実に薔薇色と言えた。

 誰もが羨んだ。美人妻、とまで言われて、元の素材が地味とはいえ磨けば光る原石だった、ってだけ。発掘した。俺はそれを見つけて磨き上げただけで、みんなの目につき始めるとなんか惹かれなくなって適当に傷つけて手放した。



 なんとも思われずに終わるのが癪だったのかもしれない。

 嫌いの感情があればどんな人間にも根付く。花の名前を女に教わるな、そんな理屈とも似てる。どうでもいい。そんな人間がいた。取るに足らない多勢の一種。雑然とした塵芥の一つに成り下がるのはちゃんちゃらごめんで、謝るために連絡するのは、ただ彼女を思うと違うと思えた。

 一ヶ月だ。別れてから、一ヶ月でその頃には加瀬さんと付き合い出し、何事もなかったように往来に出てくる様がなんだか奇妙だと思った。失恋を引き摺るのは男ばかりで、女はそうでもないと聞いたことがある。その理屈をまざまざと見せつけられたような気がして正直、気分が悪かった。



「檜山」


 喫煙所で眺めていたスマホをスーツの内ポケットに直し、顔を上げると手を上げたのは加瀬さんだった。ガラスの向こうで親指を外に向ける仕草をするので、二口吸って外に出る。


「悪いな。また、いつもの頼むよ」

「はい。一応、営業回りん時目光らせます」
「三日連絡がないなんて…まぁ、俺の考えすぎかもしれないけど、ほら、あいつ弱いとこあるからさ。俺の見えてないところで、実は抱えてる何かがあったのかなって」
「あー、はは、ねぇ」

「こんなこと頼めるの、後輩の檜山くらいだ。いつもありがとうな。頼んだよ」


 眠れていないのか、そう言って焦げ茶の短い前髪を掻き上げた加瀬さんの目の下には、薄いクマが出来ていた。