家庭教師との勉強の時間は週に三回だ。聖はその日を楽しみにしていた。
 
 本堂が教えてくれるのは経営学から自社の内部のこと、世界情勢まで様々だった。

 本堂の知識はどこで得たのか分からないほど豊富で、まるでコンピュータを相手にしているように感じる時がある。

 聖がいつになく熱心に勉強しているものだから、正義や澄子も驚いていた。

「今度の家庭教師の方は本当に優秀ね。聖があんなに勉強に熱中している姿は久しぶりに見たわ」

「ああ、我が社の中でも彼は特に優秀な人材でね。まだ若いが将来は十分聖の右腕となりうる実力の持ち主だ」

 あのお堅い正義と澄子ですら、本堂のことはべた褒めだった。本堂を家庭教師につけてから聖の成績がぐんと上がったからだ。

 もともと聖の成績は悪くなかったが、家庭教師を入れ替えるためには成績を上げる必要はなく、そのためテストも適当に答えて答案を出していた。

 今成績が上がったのではなく、元の成績に戻しただけのことなのだ。

 成績が上がれば家庭教師を入れ替える必要はない。むしろずっと本堂がいいと思っていた聖は、自習の時間以外も自然と勉強するようになっていた。

 本堂を家庭教師として雇うようになってからすぐに、聖と本堂はタメ口で喋るようになった。

 本堂は最初こそ敬語で喋っていたが、なんだかそれに違和感を覚えた聖が「あなたらしくない」というと、彼は敬語を使うことをやめた。だが、聖は満足だった。その方がずっと話しやすいし、気を使わず済むからだ。

 ただの家庭教師と生徒らしからぬその様子に俊介は非常に驚いていた。

「なぁ、あいつ本当に大丈夫なのか?」

 俊介はことあるごとに聖を心配した。聖達の様子がとても勉強をしているようには見えなかったのだろう。

 まるで友人と話すようにケラケラと笑いあっていれば、不思議に思うのも無理はなかった。勿論、俊介以外の人間の前では真面目に勉強に取り組んでいるのだが。

「どれだけ心配なの? 別に楽しくやってるんだからいいじゃない」

「それはそうだが……」

「俊介も話してみたら? 本堂先生すごく面白いし話の引き出しも多いから勉強になるわ」

「俺はただ────いや、いい」

「もう、なんなの?」

 俊介はまだ何か思うところがあるようだが、口には出さなかった。

 俊介は責任感も強いし、聖の専属執事だ。外から入って来る人間が気になるのだろう。

 聖だって最初は警戒していたが、少なくとも本堂は他の人間とは違う。聖にとって、信頼に足る人物だった。




 夜の十九時から始まる勉強のために、聖は嬉々として資料を準備をした。

 始まる五分前にノック音が聞こえて、本堂と引きつった顔の俊介が現れた。

「聖様、本堂様をお連れしました」

「こんばんは先生」

「サボってないだろうな?」

「もちろん。俊介、夜食はそこに置いておいてね」

「……かしこまりました」

 俊介は静かに頭を下げ、退出した。
 
 本堂は先ほどまで調べ物をしていた形跡が残った机を見てニヤリと笑った。

「嘘じゃないらしいな」

「先生が先週お勧めしてた資料が見つかったから取り寄せたの。面白かったから徹夜して読んじゃった」

「期待は裏切らせないって言っただろ」

 二人とも椅子について、定刻通り授業は始まった。

 授業と言っても、資料やノートを見ながら何かするわけではなく、本堂が記憶していることをペラペラと喋るだけだった。

 それがまた面白い話で目は覚めるし、覚えていたいのに本堂の話が早いものだから毎度毎度聖は忙しかった。

 本堂は聖が望んだ通り会社のことや世間的なこと、自分の仕事のことについて教えてくれた。

 聖は今まで賢い男を何人も見てきたが、本堂は群を抜いて賢かった。おそらく今まで出会った人間の中で一番だと言えるほどに。

 本堂は尊大な態度だが、優秀さをひけらかしたりそれで天狗になるようなことはなかった。だから、本堂と話をするのは楽しかった。

 ようやく一息ついたところで、聖は夜食をつまみながら気になっていた質問をぶつけた。

「ねえ、本堂先生はどうしてうちの会社に入ったの? どうして家庭教師に応募したの?」

「質問は一つか二つにしろ。俺は聖徳太子じゃねえんだぞ」

「だって、本堂先生みたいな人がうちの会社に入るなんて思えなくて。言い方は悪いけど、あんまり家庭教師っぽくないし」

「就職も家庭教師の話も誘われたから来ただけだ。別に大した理由じゃねえ」

「本当に?」

 聖は疑うような目つきで本堂を見つめたが、本堂はどうでもいいのか答えてくれそうな雰囲気ではない。

「お前が学年トップで卒業できたら教えてやるよ」

「……分かった。約束してね」

 本堂は饒舌に喋る。一見笑って見える目は冷えていて、時折聖を射竦めるような目で見つめていた。それも今までの家庭教師とは違う点だ。

 ヘラヘラと愛想を振り撒かない。おべっかも使わない。かと言って聖を見下したりもしない。
 
 その獲物を狩るような目付きに聖の心臓は絡め取られて、話を聞く集中力を奪われた。