年明けで業務は比較的落ち着いていた。

 それよりも各社への挨拶回りが多く、聖は毎日のようにどこかしらへ出掛けていた。青葉もだ。

 二人が出掛けている間本堂は一人で仕事を進めていたが、青葉がいないのも久しぶりで、別に仲良くなったわけでもないがなんだか物足りなく思った。

 いつもよりのんびりと作業していると、突然ドアが開いた。

 入って来たのが聖の父親────正義だったので、本堂は驚いた。正義の方からここに来ることは滅多とない。

「ああ、本堂君か。聖と青葉君はいないのか?」

「お二人は年始の挨拶で出掛けております。十五時頃帰社する予定ですが」

「そうか……まぁいい、君は何か急ぎの仕事でもあるのか?」

「いえ、急ぎではありませんが……なんでしょう」

「これから知り合いの会社に行くんだがね、私の秘書は用事で出掛けていて誰もいないんだ。君に来てもらいたい」

 正義の言葉を聞いて、直ぐに返事をした。考えるよりも先に頷いていた。

 正義と二人きりになることはまずない。これはまたとない機会だ。

 本堂はいつもより数倍機敏に動いて、まるで青葉のように振る舞った。秘書の経験なんてなかったが、青葉を見ていたから大体わかる。

 目的の会社に着いて、直ぐに案内役の者が出てきた。恭しく頭を下げたその社員は、正義と本堂をビルの上層階に連れて行った。

 社長室に通されると正義は上等なソファに腰掛けた。相手の社長もだ。

 タヌキ二人に挟まれて本堂は正直不愉快だったが、これも復讐のためだと言い聞かせて我慢した。

 しかし仕事の話だと思っていたが、二人の会話のほとんどは雑談と愚痴だ。こんなことのために呼ばれたのなら無駄骨だったかもしれない。

 落胆しながらしばらく二人の会話を聞きていると、ふと話を振られた。

「そういえば、君は見たことがないな。藤宮社長のところに来て長いのかい?」

 相手方の社長は本堂を見ながら興味深そうに尋ねた。しかし本堂が答えようとするよりも先に、正義の方が先に答えた。

「うちの娘の補佐をしてくれている本堂君だ。入ってもう何年目になるのか────まあ、我々より若いことは確かだな」

「そうか、何かの縁だ。一応名刺を頂いておこう」

 そう言われて、本堂はさっとポケットから名刺ケースを取り出した。営業時代の癖で、名刺ケースは二、三秒もあれば取り出せる。

 慣れた手つきで名刺を渡すと、相手方の社長はまじまじと名刺を眺めた。

「本堂君か」

 名前の上に振られたふりがなを見たのだろう。本堂は印象付けるためにあえてもう一度伝えた。

「本堂一と申します」

「若いのに優秀とは、立派なことだ。我が社にも君のような人材がいればいいのだがな」

「本堂か……そういえば、昔そんな取引先がいたような……」

 不意に正義が放った一言に、頭の中で激しい警笛が鳴った。ドクンと心臓が跳ねる。緊張とは違う。高揚感に近かった。

 まさか、正義は知っているのだろうか。

 実家が営む会社は藤宮ほどの大企業ではない。藤宮からしてみれば星の数ほどある取引先のうちの一つだ。おまけに藤宮コーポレーションとは直接取り引きをしたことはない。知っていたら奇跡だ。

 それでも本堂は、考えるようなそぶりを見せる正義に全神経を集中させた。早く言えと心の中で急かした。

「思い出せんなあ。気のせいか……」

 ガッカリした。分かっていたこととはいえ、何か掴めると思ったが、やはり期待は外れた。

 正義が覚えているはずがない。ただの気のせいだろう。期待する方が間違っていたのだ。

「藤宮社長が覚えていないのなら大した会社じゃないんだろう」

「それもそうだな。ゴミのような中小企業を覚えても何の特にもならん」

 拳に爪が食い込んだ。本堂は衝動を抑えるのに必死で、少しでも動いたら殴りかかってしまいそうだった。

 正義が覚えているはずもない。あれは十年以上も前のことだ。

 それに数ある中小企業のうちの一つである本堂商事のことなど記憶にあるわけがなかった。だが、それでも許せなかった。

 自殺に追い込まれた父親がどんな気持ちでいたかは知らない。

 弱肉強食の世界で生き残れなかった、そう言われればそれまでだ。大企業からすれば、ゴミ以下の存在かもしれない。
 
 それでも────自分の家庭を壊したこの男が許せなかった。許すわけにはいかなかった。

「いやあ本堂君、勘違いだったようだ」

「そうですか、まあそんな企業あったとしても覚えるまでもないでしょう」

 本堂はありったけの憎しみを込めてわざとらしい笑みを作った。次はお前が潰れる番だからな、と心の中で呪いの言葉を吐いて。

 唐突にあふれ出した怒りの感情が心の中を真っ黒に染めていく。ここしばらく忘れていた感情だった。
 
 今更思い出した。自分がここにきた目的は「藤宮グループを潰すこと」だ。

 躊躇や迷いはあってはならない。そのために自分は今まで全ての歳月を復讐に注ぎ込んできたのだから。

 目の前の男の息の根を止めるためには、泣き言も弱音も吐いてはならない。

 心の中にわずかに芽生えた、聖に対する思いも────勘違いだと言って踏みにじった。