「はじめさん、おはよう」

 年明けの出社で、本堂は久しぶりに聖に会った。

 青葉は年末年始も藤宮家で仕事していたが、サラリーマンの本堂は公休のため年末年始は休みだ。

 あのパーティー以来会っていなかったから、何事もなかったように振る舞う聖の明るい挨拶に少し戸惑った。

 聖を最後に見たのは、自分が言った一言で凍りついた暗い顔だ。だが、聖は忘れているのか、それとも敢えてそうしているのか。そのことについて何も言わなかった。

「ああ……おはよう」

 そう返すのがやっとだった。

 本堂は未だに聖を傷付けたことに罪悪感を感じていたし、そんな自分に疑問を持っていた。復讐だと言い聞かせるほど、聖の笑顔を見るのが辛くてどうすればいいのか分からなくなった。

 だが、そんなことを考えている場合ではない。

 年初めには本社の社員全員を集めて講堂で新年の挨拶が行われる。

 ほとんどの社員は聞いているだけだが、正義と聖が壇上で挨拶するため本堂ものらりくらりとしているわけにはいかなかった。

 本堂は準備のため先に講堂に向かった。だが、大方のことは年末に終わらせているためやることは少ない。

 講堂の壇上には大きな門松が飾られ、謹賀新年と達筆で書かれた弾幕が掛かっている。マイクの横に飾られている生け花には、松や胡蝶蘭、菊が入っていていかにも正月らしい。

 見栄えはいいが、なんだか先日の誕生パーティを思い出してなんとなく嫌な気分になった。

 やがて定刻の少し前になるとぞろぞろと社員達が入ってきた。

 あっという間に席が埋まる。本堂も席に座って聖達が来るのを待つことにした。

 十分前になるとようやく聖と正義、そして青葉が入ってきた。

 青葉は本堂を見つけると、その隣に座った。
  
 青葉ともあの誕生パーティ以来だ。こんな場所で年始の挨拶なんて変だと思ったが、無視するのも変だと思い、本堂は久しぶりに挨拶をした。

「よお、パーティー以来だな」

「ああ、本堂もな。元気にしてたのか?」

「病人でもねえ俺に言うセリフかよ」

「ああ、悪い悪い。あの時お前が珍しく動揺してたみたいだったから」

 やがて正義が前に出て、挨拶を始めた。

「……別に動揺なんかしてねえ」

 本堂は小声でボソリと呟いた。

「聖は……まあ、表面上は元気そうだ」

 青葉は視線を壇上にいる正義に向けたまま、聞いてもいないのに聖の様子を教えた。

 どうでもいいことだ────そう思いながらも、本堂は正義の話よりも青葉の話に集中していた。

「年末年始もパーティ三昧だった。藤宮家は忙しくてな」

「……そうかよ」

 青葉はそれ以上言わなかったが、聖がどんな様子かは聞かなくても想像できた。

 気が付くと正義の話は終わっていて、聖が壇上に出て話し始めた。

 今マイクを持って話そうとしている聖もあの時と似たような表情で、年始の挨拶をするような明るい顔ではなかった。恐らくそのパーティーでもそうだったのだろう。

「言っただろう。聖は気にしてないって」

 気にしてない────というよりも切り替えているだけではないのか。本堂は心の中でそう言い返した。

 聖は気丈な性格なのか、泣いたり悲しんでいるところはほとんど見たことがない。どちらかというと辛くてしんどい時でも、自分は笑顔で周りに心配をかけまいとしている。

 ほとんどの人間がそれに気が付かないのは、聖の本当の表情を誰も知らないからだ。

 考えたところで、本堂は自分自身に驚いた。

 本当の表情────どうして自分は、聖の本当の表情を知っている、そんなふうに思うのだろう。

 沸き上がる疑問には誰も答えてくれない。

 聖との付き合いは浅い。家庭教師として雇われるまでは社員でこそあったが話したことはないし、ほとんど彼女のことを知らなかった。

 それなのに、いつも聖のそばにいたように思えて自分でも驚いている。

 そう思うのは、聖が笑ってくれたからなのか。自分が唯一だとそう言ったからなのか────どちらにしても自分を過信し過ぎだ。

 実際は青葉の方が付き合いが長い。辛い時期も何もかもを見ているのは青葉の方だ。自分なんて、ほとんど知らない。
 
 だが、聖と出会った月日のなかで、彼女の様々な表情を見てきた。

 屈託無く笑う柔らかい表情。家のことを語る時の物憂げな横顔。子供のようにはしゃぐ姿。

 聖の側にいると翻弄された。聖につられて笑う自分がいて、聖につられて怒る自分が、悲しむ自分が────そこにいた。

 だが、それは知ってはならないことだったのかもしれない。

 記憶の中で笑う、聖の優しい笑みを思い出すと、また胸が締め付けられた。