その時、カナの部屋のドアが開いた。
黒澤くんが私の腕をつかんだ。離して、と呟いた私の声は小さすぎた?


「俺は莉奈さんに会いたかったんだけど」


あっという間に壁際に追いやられて、私の視界は黒澤くんの体で遮られた。


「莉奈さんは違うの?」


黒澤くんは私に返事をする間を与えてはくれなかった。噛み付くようにして
私の唇を塞ぎ、私から呼吸を奪う。
それが苦しくて黒澤くんの胸を叩いてみても少しも怯まないどころか、逆に
黒澤くんは左手を私の頭の後ろに回して固定し、私たちの間にできるほんの
少しの隙間も許さないかのように体を密着させた。

徐々に力が抜けていくのがわかる。黒澤くんの胸を押したり叩いたりして
いた私の手はいつのまにか黒澤くんのブレザーをつかんでいた。やがて
シャツの裾から入ってきた黒澤くんの手は温かくて、振り払う気にはなら
なかった。

しばらくして不意に唇を離した黒澤くんがヤバイ、と呟いた。いつもの張りの
ある声ではなく、もっと低い声で。え、と返事した私の声もかすれていて、
ちょっと恥ずかしかった。





「勃ちそう」





最初は黒澤くんの呟きの意味が私にはわからなかった。でも次の瞬間我に
返った私は黒澤くんの体を反射的に突き飛ばしてしまった。イテテ、と情け
なく笑ってトイレどこ?と訊く黒澤くんに無言でトイレの方向を指差して、
私は部屋に戻った。


「ねえ莉奈ちゃん、カイト知らない?」


しばらくして部屋に戻ってきたカナに聞かれ、私は部屋の扉を少しだけ開けて
さっきトイレの場所聞かれたよ、とだけ答えた。声だけで。
体が熱くなるのを止められない。きっとほてって紅潮しているであろう顔は
出せなかった。

どんどん激しくなる鼓動。あのままカナが来なかったら私たちは、いや私は
どうしてた?





それからというもの、私と黒澤くんの距離は確実に縮まっていった。
黒澤くんが家に来ると、私たちはカナの見てないところで触れ合った。
すれ違いざまに手を握ったり、ほんの少しの時間でもカナが席を外すと
黒澤くんは私の部屋のドアを開けた。いつのまにか私はカナが黒澤くんを
家に連れてくるのを待っていたのだ。


ところが、ある日を境に黒澤くんは家に来なくなった。


「大会が近いから毎日テニス部の練習が忙しいのよ」


そう返事をしたカナは少し寂しそうに見えた。


「そっか、でも彼はエースなんでしょ、だったら応援してあげなきゃね」


なんて優しい姉ぶって答えてる私をもし神様が見ていたなら、私はいつか
罰を受けるだろう。





『でもあなたは学校で彼に会えるんだからいいじゃない』





なぜならこれが私の本心だから。決して誰にも知られることのない気持ち。
でも遅かれ早かれこうなることはわかっていた。だって私は黒澤くんの
彼女の姉という以外になんの繋がりもない。携帯の番号も、LINEも、次の
約束も、私たちの間には何もないのだから。きっと黒澤くんにとっては
ほんの暇つぶしだったんだ。カナを抱くその腕とカナとキスをするその
唇で私に触れて、ちょっとしたスリルを味わうことができた?

なんて彼を悪者にすることで逃げようとしてる私はやっぱり最低だ。もう
とっくに黒澤くんを好きになってることに気付いてるくせに。