「……リシュナ、置いてく、って言った?」
 今度は横から声がした。ナーザもリシュナを見上げていた。こちらは、戸惑いの表情で。
「置いてくって……リシュナも行く気?」
「当たり前でしょ」
 怒ったような緑の目が彼を見下ろす。ナーザは首を左右に振った。
「だめだ。危ない」
「危なかったら、ナーザが守って」
 ナーザは息を飲むように黙った。リシュナと見つめた合ったあと、その唇がきっぱりと動いた。
「わかった」
 壁に掛けてあった大きな布袋を取って、その口を広げる。リシュナがその中に滑り込み、ユーリーとルチェをふり向いた。
「行ってくる」
「リシュナ……お兄ちゃん……」
 両手を握りしめるルチェの肩に手を置いて、ユーリーが頷く。あ、と小さく声を上げ、棚に置いた丸鏡を取ってナーザに渡した。
「何かわかったら、イストに頼んで空文を送る。何か、あたしたちにできることがあったら……」
 ナーザは素早く母親を抱き締めた。
 すぐにその手を離し、リシュナと鏡を入れた袋を肩に斜めに掛けてシルフィスを見上げる。そのとき、奥のドアが開いた。
 ダルグだった。腕に外套を掛け、手に水筒と包みをふたつずつ持って。
「よかった、間に合ったな」
 外套と包みひとつをナーザに、もうひとつの包みをシルフィスに渡す。
「弁当だ。パンは焼きたてだが、あとはあり合わせだ」
「……ありがとう。行ってくるよ、父さん」
「……ありがとうございます」
 包みから手に伝わる温かさに、素直に礼が言えた。
 シルフィスはナーザと目で頷き合い、通りに出るドアを押した。
 満月が昇って、外は思いの外明るい。後ろからダルグの声が飛んだ。
「ルーンの家で馬を借りられる。まずトーラを目指せ。街道を北、峠を越えたら西だ。馬は途中で必ず休ませろ。山に入るから、トーラに着くまで馬を替えることはできないぞ!」
「わかった!」
 ナーザが答え、走り出す。そのあとをシルフィスも。
「ちゃんと帰って来てよ、お兄ちゃん……!」
 背後で叫ぶ声がした。ナーザはふり向かなかったが、シルフィスはちらと肩越しに声の主を見た。
 ルチェがドアにしがみつくようにして兄を見送っていた。