祈りの空に 〜風の貴公子と黒白の魔法書

 カップが空になったのをしおにシルフィスは腰を上げた。
「表通りまで送るよ」
 と、ナーザも立ち上がる。
 路地を抜けたところで、ふたりは足を止めた。
 ここでお別れだ。
「……来てくれて、ありがとう」
 少し恥ずかしそうに、でも、きちんとシルフィスを向いてナーザが言う。
「使い走りの行きがけに、ちょっと寄り道しただけだよ」
 シルフィスは笑う。直角三角形の斜辺を通らず、二辺を通っただけだ。
「帰りに、もう一度寄っていいかな。君の家族にお礼を言いたいんだ」
 ナーザの顔も綻んだ。
「みんな喜ぶよ。特にルチェが」
 おや、彼女、もしや僕に恋したとか──なんて思いかけたが。
「王子様になんて、滅多に会えないし」
 自分に失笑した。──忘れていた、この町の人は、珍しいものが好きなんだった。
「元王子だけどね」
 お互い、ちょっと黙る。
「じゃあね」
 シルフィスは言った。
「ありがとう、シルフィス」
 ナーザの応えに頷いて、背を向けた。
 ふり向かずに歩き、角を曲がったところで、足を止めた。しばし佇む。
 大丈夫。彼も、僕も。生きていける。
 目を上げて、空を見た。
 どこまでも広く深い青。永遠に風渡る、沈黙の蒼穹を。