『人間に擬態しているね』


 初めて桐子に出逢った日。声をかけてきたのは意外と言うべきか、案の定と言うべきか、とにかく向こうからだった。

 春の終わりだ。院に進むことが決まり同期が就職やらで様々な道に進む中、何を思ってか柄にもなく花見に繰り出した。その年、気温の変動が激しく桜の開花が一気に進んだことで4月の初旬にしてどの地方の桜もそのほとんどが二週間足らずで散ってしまい、挙句自宅アパート前の電線に例年なら5月頃に姿を現す燕が渡来し、(しき)りに(さえず)るのを煩わしいと感じて、逃げた。

 先住民の特権など、鳥相手には通用しない。

 懸命に鳴いて居を構えようものなら近隣住民は好意的に彼らを受け入れ、その逆の感性の多くは「冷徹だ」とか「人でなし」などの厭世的な反感を買う。
 狂い咲きの桜がその最たる例だ。遅咲き、良く言えば大器晩成。一足も二足も他より遅れを取った満開の桜を取り囲みカメラのシャッターを切る大衆に倣えずに、ただ無心でそのソメイヨシノを睨んでいた。

 奇妙だった。

 足並みを揃えること、突出しないこと、自身の個性を、人知れず殺すこと。

 人間であればバッシングの対象になり兼ねないそれらが一度桜になれば掌を返してけろりと飛びつく人間が、ただただ不気味だった。

 恐らくそんな念頭を気取られた。
 だから桐子は俺にそう言ったのだ。


『…はい?』

『感情だけが一人歩きしている。かろうじて人の皮を被った死に損ないと言ったところか』
『…喧嘩売ってます?』
『多勢を前に揺らがないそれもまた個性だよ。一貫する姿勢が、私と少し似ているけどまるで違う。きみに興味が湧いてしまった。なんてことだろう、きみの真髄は何を以て揺らぐのかな、わくわく』

『わくわくじゃなくて』


 桜の樹の裏側で背を向けていた彼女の前に回ったら、やはり見目だけは一端の桐子に魅了された。最も、訂正しておきたいのはこの時魅了されたのはあくまで桐子の方で、俺はそれを見つけさせられただけと言うことだ。
 その日の出逢いは詐欺だと思う。大方創作を成し遂げ人に還った朝に等しい。これ以降、この日以上の桐子に出逢ったことがないのがその証明。


『いつか私の芸術で、貴方の心を焦がしてみせるよ』


 初対面でプロポーズみたいな言葉を述べられて、事の成り行きで「恋人」になった。この時両者にその気がないのにそうしたのは、桐子が〝男と女なんてこの一言で片がつく〟と面倒を嫌ったからで。俺もその意見には同意して。