桐子の花餌が〝奇形〟だと判明してから、症状の変化は顕著だった。
まず一つに奇形に見られる飢渇、気温変化に神経質になることに加え、それまで実施していたビニールでの湿度管理では不満に思ったのか、定期的、それも15分置きを目安に桐子のいるアトリエの加湿を行う必要が増えた。
亜熱帯地方の樹々のように高温多湿を好む瞬間もあれば、時には通常の人間が好む20℃〜22℃の設定を交互する。恐らくこれは桐子自身が自身を蝕む花餌に抗っている証拠で、その割合が崩れる毎に人間から剥離していっているとも言える。
ただ彼女の本業である画家の業務が高温多湿の環境に置くことで損なわれてしまい、覚醒しては絵の具が溶け何かわからなくなった作品を眺めては桐子は絶望していた。忘れた頃にこれもこれでありか、と開き直る瞬間もあるため、ここに関してはまともに取り合う必要はない。
そして、あの報道陣の一件のせいで完全にこの住宅街のシンボルともされていた桐子のアトリエ、そしてその家主が花餌に罹患していることが知れ渡ってしまい、強制退去を嘆願する広告を入れられたり、出入りをしている所を小学生に見かけられれば一目散に逃げ出し、時にはスプレー缶で【 で て い け 】と壁に落書きをされ、初めこそ真新しいアトリエの壁面が汚れたことを落胆し業者に清掃を頼んでいたが、回数を重ねる内にいたちごっことなり、剣菱と二人で書かれた落書きを何度も上から白で塗り消した。
俺の顔も割れたのか、往来を歩いているだけで怪訝な顔で見られるようになった。退去の申請を承諾しないことを、この町の人間は恐らく快く思っていないのだ。
あれほど伝染病の危険はないと公表されていても、得体の知れない疾患には偏見がある。好奇や奇異の目に晒されるのはいつだって人間で、当事者はその弁明に常に身を投じなくてはならない。ただそれは期待するだけ無駄な好転だ。
花餌の罹患確認が取れて二ヶ月半が経った頃。
桐子は寝ていることが増え、かと思ったら思い出した様に絵を描き、そして水だけを好んだ。食事はもう、この半月摂っていない。それでも体型が変わらないのはこれも花餌の影響か。
奇形について、最近興味深い文献を目にした。
なんでも、奇形の場合症状の進行速度が通常の二倍になるそうだ。
「おいっす」
「ブレンド、コロンビア、ブルーマウンテン」
「今日はブラジルにしよっかなー」
「まるであんた行きつけの珈琲店だな」
自称「珈琲愛好家」だという浪河に花餌愛好家じゃないのかと訊ねたら、それは別格なので右に出るものはないと言われた。所謂殿堂入りだ。その頃三橋教授に事情を話し大学院の前期を休学した俺は、もう毎日アトリエにいた。物が何もないだけに、毎日状況確認に来る浪河の勧めで買った珈琲焙煎機は自分で豆を挽くタイプのもので、そのお手並みを毎日披露する羽目になっている。



