前に出る。反射的に桐子の前に回って手を左右に振っても目を開いたまま、微動だにしなかった。通常、気絶というのは目を閉じて卒倒するだとか、そういう類じゃないのか。
「ところで青磁さん、この記録に改竄と過大表記はありませんね」
「数値は正確なはずだ。桐子自身の口頭じゃあてにならないから俺がこの目で確認したものをまとめてる」
「三日」
「え?」
「三日自分に時間ください。すっげー嫌な予感が的中してたらこの後の挙動が認められるのに三日もあれば十分だ」
「ここに住み込みで記録するつもりか?」
「そうしたいのは山々なんすけど自己判断《ボランティア》で来てるんで本業そっちのけにする訳にいかないんすよね〜何より教授に叱られる」
そこでこれ、と浪河自身の大きな提げ鞄の中からごそごそと何かを取り出すとアトリエをぐるりと見渡し、彼女は人の家の脚立を勝手に組み立て、その部屋の角に一つのカメラを設置した。…防犯カメラだろうか。角度的に部屋の全体像が見渡せるように位置付けたそれのランプが起動したのか、赤から緑に変わる。
「明日の0時から三日後の0時まで記録出来るようタイマーかけときました。排泄、入浴外のアトリエでの様子をこれで確認する。全部丸見えなんでここでイチャつかんでくださいね」
「しないけど」
「あとはこれ」
小型の電子機器を手渡され、それを両手で受け取る。丸っこいフォルムに数値が測れるようになったそれは病院などでもよく見る酸素濃度計《パルオキシメーター》で、その中でも指から測れる簡易的なものだった。
「明日から一日三回、朝昼晩定刻に計測してください。9時、12時、18時にしましょう。こっちはあくまで捕捉ですから青磁さんの記録につけるでも良し、自分のトークに送ってくれてもいいですはいこちらIDね」
とことん手際のいい女だ。胸ポケットに入れていたスマホを取られるなりIDを読み取らされ、トーク画面で拒否権もなく浪河来夏が友達追加される。そのアイコンは見たこともなければ趣味の悪い微生物だった。
「…さっき言った嫌な予感って」
「おっと教授がお怒りだもうそろそろ行かないと」
「おい」
「確定外なら取り越し苦労です。あとは全て電子機器に任せましょう。単純作業で機械に勝るものはない、答えは三日後、彼女自身が示してくれる」
「…」
「答えは神のみぞ知る。なんてね」
その日欠伸をしつつもそそっかしく家を出ていった浪河の指示の下、言われた通り桐子の酸素濃度を三日間に渡り計測した。俺や剣菱がいないタイミングを作ってしまうと桐子自身に任せる事になってしまい、それは正確な記録を取れない為時に研究を蹴り、彼女を優先した。
あれほど口達者に喋り倒していた生意気な声。その意思を最近感じていないのは、桐子がここ数日で突然ほぼ喋らなくなったからだ。明らかに瞑想…否、〝気絶〟の時間が増え、かと思えば何事もなかったかのように作品に没頭し腹が減ったと俺の前に現れる。何かがここ一ヶ月半と違うと、確かに感じていた。
三日ぶりにアトリエに浪河が訪れた時、それは桐子が寝ている時だった。昨夜22時に寝室に行ってから今が朝の10時だから、かれこれ12時間ぶっ通しで寝ていることになる。
監視カメラは、事前に確認しなかった。
自分の目に映るものとは別の媒体が捉えた桐子には、容赦の一切がきっとないと。
予感していたからだった。



