「してない」

「メモしとこ…花江(はなえ)青磁(せいじ)には精力皆無と」

「ちょっと笑えない事態が起こった」

「ほん? それはどんくらい? オフの日に準教授の高梨を街で見かけてデートに誘ってワンナイトラブした武勇伝? それとも二年の帰国子女のハーフエミリーを口説いて彼氏にジャックナイフ向けられた武勇伝? それともこの前青信号渡ってたのに2トントラック突っ込んできて危機一髪神回避したオレの武勇伝のそれは果たして右に出ますか」

「そんなもんの比じゃない」

「詳しく」

「絶対言わん。お前に話したら明日マサイ族が跳びながら世間話のネタにする」


 何それ激アツ!! と目を輝かせておい青磁、と呼ぶ声も右から左に受け流して図書館を後にする。本当に笑えない。まさかこんな身内で罹患者が出るなんて思っても見なかった。



 花餌。花江。それも苗字といえど奇しくも自分と同じ名の。

 大学構内から外を見れば、二十歳を越えてもラグビーに精を出すむさ苦しい男の声が開いた窓を筒抜けて上がってくる。二酸化炭素は重いのに、その理屈抜きにしても伝搬するのはこれ音の波の問題か。今日は日中25度まで気温が上がると言っていた。空気中の温度が高く空気分子が激しく動き回るせいで伝達速度が速いのだろう。タチの悪い空気伝搬音に苛立つ。

 閉めよ、と換気の為に開いていた窓に手をかけたら胸元でスマホがバイブする。窓を閉めて背中をつけると、それは桐子からだった。



【ここから未読メッセージ】



《しぬ》

《おなぺこ》
《或いは渇死(かっし)
《だずげで》

《いいえ、いきる》



 意味不明な連続メッセージの最後に「アトリエ 地下 プリン スポドリ」と謎の単語だけの記載があってそれからメッセージが途切れた。嘆息をついてもう目の前の研究室からやむを得ず身体を(ひるがえ)せば、図書室からくすねて来た本の続きに視線を落とす。








[皮下出血はやがて全身を覆い尽くし罹患者を衰弱させ、宿主の栄養を蝕んだ末に死後は満開の花を咲かせるとも言われている。

 後述
  潜伏期間:1年〜5年
  尚、罹患後の死亡率は現状100%]