いつも通り頼まれた買い出しを手に大学からアトリエに向かうと、家の前に無数の人間が群がっているのを見かけた。10人弱だろうか。表の門扉をこじ開けんばかりの勢いで殺到する人間の多くは、スーツ姿にマイクやカメラ機材を持ち、したたかに呼び鈴を鳴らしてはあわや門を壊してでも突破しそうな勢いだ。
あえて裏口に回り中に入る。扉の音に肩を揺らした剣菱は、ドアホンの前で振り向いた。
「何の騒ぎだ」
「わからん! 青磁がいない間いつも通り家番してたら急にインターホン鳴らされて、宅配か何かと思って出たらあんな…二階から見たけどあれ報道陣じゃねーのか」
「よくもまぁぞろぞろと…だとしたらどこから情報が」
《東海林さん! いらっしゃるんですよね、開けてください! 国の指定難病【花餌】に罹患していらっしゃると言うのは本当ですか! 近隣住民から身体に無数の痣がある姿で外を歩かれている所を見かけたと言うタレコミがあったんです!》
《場合によっては今後の治療方針決定に繋がる可能性のある指定難病ですが、発症した上で病院に行かれないことはどうお考えですか?》
《近隣の方から感染の可能性もあるのではと懸念の声があがっています》
思わず剣菱と顔を見合わせた。
「あっ、東海林さん!」
剣菱の制止を振り切って正面玄関の鍵を開ける。その時丁度門扉が役目を終えたのか押し寄せる人の波に侵入を許し、扉を開けたままのアトリエの中を許可なくカメラで撮影され、そのフラッシュに目が眩む。これではまるで不正を犯した政治家だ。
「貴方は、先ほどご対応頂いた方とは別の方ですね」
「身内です。彼女の」
「東海林さんはいらっしゃいますか?」
「皆さんが御察しの通り、花餌に罹患しています。ご質問に関して返答させて頂くと現在の医学では治療法が確認されていない為画家の彼女の意向を優先し受診を選択から除外しました。伝染に関してはこれまでの症例で既にそういった事例はないと発表されているはずです。わかっているのは罹患後1年から5年を軸に絶命が確約されていること。見ての通り慎ましやかな生活を送っていました、貴方方が来訪されるまでは。以上を心得た上で面白おかしくメディアに取り上げるためにそれでもまだこの先を土足で踏み荒らしたい非道な方はこの先へどうぞ」
立ちはだかっていた入り口から退き、中へ促してもそれ以上、報道陣から声が上がることはなかった。次第に顔を見合わせ、口を開き、閉じ。そんな動揺を露わにする人間の間からふいに、妙に間延びした男とも女とも取れる声がする。
「あ〜どもども失敬。前を失礼しや〜す」
人波を掻き分け、前に現れた姿は女だった。私服に白衣を羽織っている小柄で同い年くらいの彼女は、老人の様に額に乗せていた眼鏡をかけて目を細めると俺の腕にしがみつく。
「おおおおおおお!! あなたが件の花餌さんですか!?」
「…いや俺が花江で東海林が花餌」
「お〜〜〜ややこしいですね〜!?」
お邪魔しまぁす! と元気にずかずか中に進むペースが余りにも自然で止める間もなく、遂に侵入を許してしまった。後ろ手で玄関の戸を閉めたのかそれを境に報道陣との仕切りが出来、手早く鍵をかける。廊下を戻り様、真横を通り過ぎた彼女を見て剣菱が振り向いてから俺を見た。
「いや、なにあいつ」
「わからん。とりあえず変なやつなことはわかる」
ここが、とこめかみを指差すとちゃっかり説明もしていないと言うのにアトリエの奥へ進み、桐子の元へと踏み込んでいた。最近はアトリエも湿度管理のため温室、と言うと大層だが、別部屋と区別する為に部屋の入り口に上から吊り下げたビニールで一定の均衡を保っている。
そこを捲り更に進むと、いつもの場所に桐子がいた。また例によって〝瞑想〟の時間なのか、呆然とキャンバスを眺めて無音でいる。



