「大和中学の事件知ってるか」
「…大和中学?」
「…桐子ちゃん、地方の子? 知らなくても無理ねーよな、都内でも隅っこにあるしがない公立中学だ。近隣じゃ一時期その話題で持ちきりだったけど、いざ新聞記事見てみたらその見出しのちんけさに驚いたよ。人の命はこうも容易く情勢や栄誉ある賞の隅に追いやられるんだってな。
たぶんあの頃当事者だけだ。〝公立大和中学の学生が投身自殺した〟記事に一目置いたのは」
当時は一躍話題になった。
二度と忘れることはない。この目で見た。全生徒が刮目した。
屋上から、複数の男子生徒が囃し立て、フェンスの外側に立った同級生が振り向いて身を投じたあの事件を。
人が、屋上から飛び降りてコンクリートに叩きつけられるあの音を。
「落ちたのが青磁の友人だ」
「…」
「…みんなが言ってた。落ちるな、やめろって声をあげる中で、心根じゃ落ちるのを期待してた。青磁も現場にいた。当時、そいつと青磁、連んでたみたいでさ。でもよく思ってなかったいじめの主犯格の人間が、青磁を引っ捕えたんだ。解放して欲しかったら飛べよ、ってふざけて笑ってた。青磁もやめろって叫んでた。
…まるで一大イベントみたいでさ。あの時、傍観者だったオレら全員が間違いなく同罪だ。止められなかった。怖かった。みんな誰かが犠牲になることで〝悪意の的〟にならないことにほっとしてた。オレもそうだ。自分の身が可愛かったんだ」
そして、命を見過ごした。
「…よく晴れた日の午後だった」
涙が落ちる。今更自分が当時を振り返って郷愁に暮れるなんてどだいおかしな話だと言うのに、悔しさに視界が歪んだ。眼鏡の下から瞼を擦ると、剣菱はそっと桐子の手を握る。
「…青磁は言わないと思う。桐子ちゃんにいなくならないでって言わないと思う。だから代わりに言うからさ。死なないでよ桐子ちゃん、いなくならないでくれ、頼むから」
やがて死にゆく命よりずっと、その手は酷く冷たかった。
こんな日に限って研究が長引き、桐子のアトリエに着いたのは実に日を跨ぐ頃だった。
今日が明日になる境目の時間に桐子の家の鍵を開け、寝ているのを予測して部屋を横切る。ところが荷物を置き、洗面所に向かう道中で長い髪の女を見かけて飛び上がった。
壁に半身を預けた桐子は、腕組みをしてニヤニヤとこちらを見据えている。
「…起きてたのか。もうてっきり寝たのかと」
「青磁が来ないから浮気しちゃった♡」
「お前男と話したら全部浮気だと勘違いしてないか。違うからな」
「可愛げのない男」
剣菱はつい先ほど帰ったらしい。さすがにまだ寝泊まりをするのには気が引けているのか、意外にも真面目だ。礼のためにスマホを取り出して、トークのアプリをタップする。



