「聖女がこんなババアじゃ、国民からガッカリされるんだよ!」
「さっさとどっかに行っての野垂れ死ね! ババア!」
「あ、ああっ……」

 城の兵士たちに蹴り飛ばされ、私は地面に倒れ込む。
 彼らは私を地面に放り投げると、さっさと荷馬車に乗って元来た道を帰って行ってしまった。
 暗い暗い夜の森。
 ここは、おそらく『崖の国』と『森の国』の狭間にある……『はぐれの森』。

「…………」

 じゃり、と地面の砂を握り締める。
 あんな言い方をして、こんな場所に捨てなくてもいいではないか。
 私のような八十をすぎた婆が捨てられてしまうのは、『崖の国』ではよくあること。
 いや、あの国で八十過ぎまで生きていられたことが奇跡かもしれない。
 あの国はその名の通り断崖絶壁にある国で、食べ物があまりとれないのだ。
 だから口減らしをして、命を繋ぐ。
 私はたまたま、『聖女』と呼ばれるほどに薬を作るのが得意だった。
 だから国に生かされてきたのだ。
 しかし、六十を過ぎた頃から人前には出なくなり、七十を過ぎた頃から薬作りの腕も衰え、八十を過ぎたら立ち上がるのもしんどくなった。
 あの兵士たちの言う通り、私はもう、『聖女』としても『薬師』としても役に立たない。

「……うっ、うっ……」

 ここで一人寂しく、獣に食われるのを待つしかないのか。
 いやだ、そんな死に方、怖くて嫌だ。
 どうせ死ぬなら毒を作って自害した方がマシ!
 よろよろと起き上がり、重い体を引き摺るようにして闇の中を彷徨う。
 毒になる薬草はないかと、草を一本一本手折って調べるが……ああ、だめだ。
 真っ暗で何も見えやしない。
 歳で目も見えなくなっていた上に、夜の星も月も私の視力の補助をしてくれるほどに眩くないのだ。
 悔しい、悔しい……。

「…………それなら、魔術だ」

 硬い砂の地面に指から血が出るまで縁を描き、その中に呪いの文字を書く。
 目は見えないけれど……多分、コレで合ってる…………と、思う。
 ファイヤアロー、という、私が唯一使える攻撃魔術。
 これを、自分に向かって放てば……!

「……いい人生だったよ……」

 最期はこんなだったけれど、たくさんの人から感謝され、たくさんの人の命を救うことができた。
 私は幸せだった。
 ああ、本当に——最高の人生だったよ……!!

「ファイヤアロー!」

 叫んだと同時に、強い光が胸を突き刺していく。
 意識が途切れる。
 ああ、あとは自然の中で眠り、その一部となろう。
 私は幸せだった。





「……、……、…………! ……!」

 なんだろう、闇の中から声が聞こえる。
 男の子の声?
 耳が遠いんだから、もっと大きな声で言っとくれ。

「おい! こんなとこで寝てたら轢かれるぞ!」
「お?」

 目を開くと、それはもう眩しい光が降り注いでいた。
 はて? 光?
 老眼が進んでなんにも見えなくなっていた私の目に光だなんて、なにかがおかしいね?
 それに、私の顔を覗き込む白虎の男の子……これは半獣人? なぜ半獣人の子どもがこんなところに……。

「痛い」
「そりゃこんなところで寝てりゃーなァ」
「いたたたたたっ!」
「え、お、おい大丈夫か!? ルシアス! なんか痛がってる!」
「大丈夫かい? もう少し待って、今馬を繋ぐから!」

 若い男の声。
 確認したくても身体中が痛くて、動かせない!
 どうなっているのだろう?
 私は、ファイヤアローに貫かれて死んだのではないのか?
 それにしては胸以外の全身が痛くてたまらないのだが!

「う、うう……」
「ルシアス、早く早く」
「どれどれ」

 白虎の子が地団駄を踏む中、ようやく駆けつけた男が私を見下ろす。
 驚いた瑠璃色の髪と瞳の、とても美しい男だった。
 わあ、すごい。
 私は半生を男子禁制の聖殿で過ごしたし、残りもほぼ工房から出なかったから、男を見る機会がとても少なかった。
 数少ない男という異性に接した中でもこんなに美しい男を見たのは初めて……。

「うーん? 外傷はないな?」
「でも痛いって言ってたぜ」
「病気かな? こんなボロ布に巻かれてこんな場所に子どもを捨てるのは『崖の国』の奴らだろう。相変わらずあの国は弱い者を容易く切り捨てるな」
「う……」
「少し頭を持ち上げるよ」
「い、いだだだ……」

 断りを入れられたが、差し込まれた手が頭を持ち上げただけで全身に痛みが走る。
 いったい私のこの身になにが起きているのだろう?
 しかし、持ち上げられたことで私の身に起きていた“異常”を、もう一つ発見してしまった。

「っ!?」

 ち、縮んでいる!?
 体が若返……いや、小さく、幼くなっている!?
 なんだこれは、どういうことだ!?
 まるで幼女ではないか!
 私は八十過ぎの婆であるぞ!?
 しかし、ずり落ちた服の間から見える手足は細く短く、そして若々しい。
 こんなバカな!
 私はいったい、どうなってしまっているんだ!?

「これを飲むといい。小ポーションだけど、なにもしないよりはいいだろう」
「え、あ……」

 小ポーション? これが?
 ほとんど水のような色じゃないか。
 これが小ポーション? ほ、本当に?
 騙されてるんじゃないのか? この男。

「大丈夫、毒じゃないよ」
「…………」

 毒。
 最初は私、毒で自殺しようと思ったのに……。
 もしかして、魔術を失敗したのか?
 くっ、ありえる……真っ暗だったから、正しい魔法陣が描けた自信はあんまりない。
 魔法陣は魔術として発動させると消えてしまうので、もう確認のしようがないんだよな。

「い、いただき、ます」

 でもとにかくこの体の痛みが取れてほしい。
 小ポーションとは思えない色だが、飲まないよりマシだろう。
 ルシアスという男の手を借りて、一口一口ゆっくり嚥下していく。
 しかし、やはりあまり効果はない。
 即効性もないようだ。
 まあ、こんな色の薄さでではなぁ。

「そうだ、君名前は?」
「え? あ……ミ……」

 待て、私よ。
 本名を名乗ったら、生きていることを悟られる。
『崖の国』は私を捨てた。
 あれだけ尽くしたというのに、突き飛ばされて、穏やかな死を迎えることも許されなかった。
 悲しい。悲しい。
 今、溢れてくる……母国への絶望。

「……ミーアです」

 本当の名を、捨てよう。
 もう『崖の国』には戻らない。
『森の国』へ行こう。
 体が若返った理由はわからないが、薬作り以外の人生をやり直せるのだと思えば……やってみたいことは、たくさんある。
 まず甘いおやつをお腹いっぱい食べてみたい。
 あと、黒以外の服を着てみたい。
 こ、恋人を作って結婚もして子どもを産んでみたい。
 全部全部諦めてきたことだ。
 でももしも、今のこの体が……本当に若返ったなら——人生をやり直せるのなら……!

「ミーアか。僕はルシアス、行商人している。この子はタルト、『狭間の森の村』の子どもだ。これから村へ行くのだが、君もそれでいいかな?」
「! は、はい……。え? は、狭間の森の村……?」
「うん」

『狭間の森』は魔物の森。
 一度立ち入れば誰も戻っては来れない……そう、聞いていたのだけれど……?
 村がある?
 人が住んでいる?
 も、もしかして、私の認識ってふ、古……!?

「お前行くとこないならダウおばさんちの子になればいいと思うぞ。俺の妹にしてやるよ」
「え? ええと……」
「あはは、それはいい考えだね。ダウおばさんはダチョウの獣人なんだけど、変化ができないんだ。『狭間の森の村』はそういう獣人として人に化ける力も、獣に化ける力もない者が流れ着く場所。そして、『崖の国』から口減らしで捨てられた子どもが拾われて育てられる場所でもある。ダウおばさんという人は、そういう子どもを育ててる人なんだよ。だから君のこともきっと受け入れてくれる」
「…………」

 目を丸くした。
 背負われて、荷馬車に乗せられる。
 荷物は固定されているけれど、横たえられると圧迫感と恐怖がすごい。
 しかし、不思議とこの森のその村へ行くことに恐怖は消えた。
 流れ者のたどり着く村。
 捨てられた子を拾って、育てる村。
 そこへ行く行商人。
 つまり、それなりの治安が約束されているのだ。
 私は、あの工房の外のことを……なにも知らないのだな、と……この時ようやく自覚した。

「よっと。……腹は減ってるか? お前」
「い、いえ、まだ……」
「そっか。ダウおばさんはポトフが上手いんだ。昨日の夜ポトフだったから、余ってるのが食えるぞ。お前運がいいな」
「そ、そうなんですね」

 荷台の後ろに飛び乗ってきたタルトが、りんごを齧りながら教えてくれる。
『森の国』に、行こうと思ったけれど……動き出した馬車の振動で体がまた痛む。
 これは、すぐに『森の国』を目指すのは無理だ。
 自分の状況把握もしたいし、その『狭間の森の村』とやらでこの痛みが治るのを待とう。
 治らなかったら……自分で痛み止めの薬を作って飲もう。
 それなら効くだろう、多分。

「いたっ、いたっ」
「小ポーション効かなかったのか? うーん、小ポーションも貴重品だしな〜」
「うっ、だ、大丈夫……我慢します……」

 小ポーションが貴重品。
『崖の国』もそうだった。
 断崖絶壁で、植物は育てられないし生えているところへ行くのも一苦労。
 薬草採集は命懸け。
 だから、ハイポーションを薄めた小ポーションでも貴重品だったのだ。
 それにしても、さっきの小ポーションは薄めすぎだと思うけど。

「いたっ、いたっ」

 け、けれど意外だ。
『森の国』は『崖の国』と違って植物がたくさん生えているイメージがあったのに、小ポーションが貴重品だなんて。
 なにか理由があるのだろうか?
 な、な、なんにしても……こんなに効きの悪いポーションより、絶対自分で作った方が効く!

「いたっ、いっ、いたっ!」
「が、がんばれ! もう少しで村につくぞ!」
「くううううう〜〜〜〜」

 村に着いたら……まず痛み止めとポーション作るぅぅぅ〜〜〜〜!



 ***



 その頃——『崖の国』。

「小ポーションが作れないだと!」
「申し訳ありません! 原料となるハイポーションが、もうなくなっていて!」
「ハイポーションがないなら作ればよいではないか! なぜ作らぬ!」
「そ、それが……」

 医官が宮廷薬師の工房を訪れることは非常に珍しい。
 それもそのはず、普段ならば症状の軽い病気も怪我も小ポーションを処方すればたちまち癒えてしまう。
 医者はほぼ、患者に小ポーションを処方して終わる仕事になりつつあった。
 なぜか。
『聖女』の薬だからだ。
 医者はそれでも治らない病気や怪我を診て、その症状にあった薬を『聖女』に依頼して作ってもらう——医者とは名ばかりの『鑑定士』。
 もちろん、『鑑定士』になるのも[診断鑑定]の魔術を覚えなければならないので専門職ではある。
 だが、数ヶ月前から薬の質がガタガタに落ち始めた。
 それは『聖女』の作り溜めて置いた薬が、いよいよ在庫切れを起こしたためだ。

「も、申し訳ありません。だ、誰も聖女様のレシピを……学んでいないのです」
「な、なに? なんだと?」
「せ、聖女様がいるので、私たちは薬の材料集めに奔走しておりまして……作り方は、誰も……」
「っ!?」

 当然と言えば当然である。
『崖の国』は素材を集めるのも一苦労。
 聖女が少ない量の薬草でも、効果の高いハイポーションを大量に作れる秘技を編み出さなければ今も必死に集めた素材を無駄にしていただろう。
 そもそも、その少ない材料を集めるのに医官たちは薬師たちを直接派遣していた。
 直接患者を診なければならず、地位的にも医官は貴族の出が多いためだ。
 魔術を学べるのが、裕福な貴族でなければならないから。
 だがそれはつまり、薬師たちが聖女にレシピを学ぶ機会を奪っていたことでもある。

「な、ならば聖女に……」
「ダメです! やはり聖女様のお姿が見当たりません!」

 そこへ、黒いローブの薬師が入ってきた。
 同じく黒いローブの一人の薬師が、ガタガタと震え始める。
 聖女の世話役も兼ねていた薬師だ。
 しかし、もはや介護も同然の最近の生活を嫌がり、辞めるつもりだった。
 苦労して宮廷薬師になったのに、なぜ介護などしなければならないのか。
 その薬師のストレスは限界だったのだ。
 だからこっそりと、懇意にしていた兵たちに頼んで夜のうちに捨ててきてもらった。
 ようやくこれで薬作りに専念できる。
 薬を自由に作れるようになれば、自分は必ず成功する。
 ……そう、思っていたのに——レシピがどこにもないなんて。

「そんな……まさか家出……!?」
「聖女様が!? あんなお体でどうやって家出するのよ!? 徘徊の間違いじゃないの!?」
「とにかくもう一度城内を探そう。あの歳であの体だ、遠くには行ってないはずだ!」
「そうよね!」
「え、ええ、そうね……」
「大丈夫よ、ジミーナ、あなたのせいじゃないわ」
「あ、ありがとう……」

 聖女の世話役の薬師——ジミーナは震えた。
 なんとしても、狭間の森へ探しにいかなければ。
 そしてレシピを聞き出さなければ、と。

(レシピさえ手に入れればあんな婆さん……そのまま捨ててきてやる……!)



 ***



「いたたた、いたたたっ」
「大丈夫か? つーかお前、本当に薬作れるのかよ?」
「つ、作れます。あ、ありがとうございます」
「おう、材料これであってんのか?」
「はい」

 ここは『狭間の森の村』。
 私はルシアスとタルトに連れられ、この村に来た。
 そして話通り、ダウおばさんという人のところに連れてこられて引き取られることになったのだ。
 こちらも話通り、ダウおばさんとはダチョウの獣人。
 しかし、人の姿になることができないためダチョウそのものがしゃべって動いている。
『森の国』は獣人の国で、人と獣の両方の姿に化けられる者が住む国。
 そのどちらかに化けられない者は、差別され見下され、この『狭間の森』に流れ着く。
『森の国』に行けば働き口もあるかと思ったけれど、よく考えれば私は人間だ。
 あの国では『崖の国』の“人間”として、結局『狭間の森』に追いやられていたかもしれない。
 そう考えると、私はどのみちこの村で生きていくしかなかったのかも。

「では……」
「お、おう……」

 展開! [製薬魔術LV10]!
 大きな円が浮かび上がる。
 円の端には大きな丸い、別な魔法陣が付随。
 必要な道具はすべて展開した、この魔法陣の中に同じ効果のあるものが揃っている。
 まずは『デュアナの花』と水を800cc。
『デュアナの花』は乾燥の魔法陣に入れて、カラカラに干からびさせたあと、粉末にする魔法陣の中に入れる。
 粉になったら用意していた水の桶が中心になるよう魔法陣を移動させて、その桶の中へと粉を入れ、かき混ぜるのだ。

「なんだこれ……すげぇ……」

 ……何十年と繰り返して、手に入れた私の——私だけの【固有魔術】だ。
 これを使って作ると、通常の三分の一の材料で、五倍の効果を持つ薬が出来上がる。

「できた」

 桶の中の水が、濃いピンク色の……まあ、ぱっと見とても毒々しいポーションに変わった。
 これはフルポーション。
 あらゆる怪我、病気をたちどころに治す薬。
 それをタルトが持ってきてくれたコップにすくって、痛みに耐えながら飲み干す。
 ……これでお婆さんに戻ったりして。
 でも、まあ、それはそれで仕方ない!
 この体の痛みに耐えるよりマシよ!

「ごくん」

 とても濃い味。
 ……シンプルに言うならクソまずい。
 やはりポーションは薄めるに限るわね、味的な意味で!

「これ、ポーションなのか? すげぇ! 本当に薬作れるのかお前!」
「薬だけど、これは薄めないと飲めないの……まずくて……まずっ……オェ……オエェ……」
「ええぇ……」

 ま、マジで味濃すぎて吐く……!
 なんかもう濃ゆい。
 こんなの飲むやつバカじゃん。
 私バカじゃん。
 の、飲んで気持ち悪くなって倒れるってバカじゃん……。
 気持ち悪さでまた動けなくなるなんて……というかフルポーションこんなに味濃くて不味かったっけ?
 おおおおぉ、世界の不味いもの展があったらダントツの一位〜!

「み、水……!」
「す、すぐ汲んでくるから待ってろ!」

 水全部使うんじゃなかった!

「タルト!? 突然出てきたら危ないでしょう!」
「ごめんダウおばさん! ミーアが死にかけてるんだ!」
「ええ? 今度はいったい……ミ、ミーア! どうしたの!?」
「こ、これは!?」

 どうやら私たち、騒がしくしすぎたらしい。
 ダウおばさんとルシアスが部屋に入ってきて、倒れた私を見て叫ぶ。
 ダウおばさんはすぐに私を抱き上げるが、なんと、私の体の痛みは完全に取れている!
 痛くない!
 …………ただ気持ち悪い……。

「これは、まさかフルポーション……!? な、そんな、バカな!? なぜこんな代物がここに……!」

 あ、ルシアスは、そういえば行商人だったっけ。
 そうだわ……これを、売れば……。

「ルシアスさん、それを、買い取ってくれませんか……?」
「なに!? いいのかい!?」
「飲むと気持ち悪くなるから……いらない……」
「飲んだのかい!? ……え? 飲むと気持ち悪くなるのかい? ハイポーションって……」

 しかし、これがきっかけで私はこの村を『薬の都』に変貌させていくこととなる。




 これは、「ババアはいらない」と捨てられた私が再び『聖女』と呼ばれるほどの薬師に成り代わる物語。