長いまつ毛を伏せてマリアは回想する。

 宮殿にお菓子を持っていったマリアを迷惑そうにあしらうレイノルドは、知っている彼ではなかった。

 恋人として過ごした時間は幻だったのかと疑いたくなるくらい、冷淡な目つきが網膜に焼き付いている。

「王妃殿下がおっしゃるには、レイノルド様はわたくしから公女殿下へ乗り換えられたそうよ」

「そんなのおかしいです。レイノルド様は、マリアヴェーラ様がアルフレッド様の婚約者だった頃から密かに恋をされていたのでしょう? 一途に想い続けた人を、そんなに簡単に手放すでしょうか」

「でも、事実そうなったわ」

 全ての男性が浮気性だとは思っていない。
 けれど、側妃を持つ前提で育てられてきた王子であればどうだろう?

 大きなお皿に一口ずつもられたオードブルのように、さまざまな女性との関係を楽しみたいと思ってもおかしくない。

 虚ろな目で語るマリアに、ミゼルは赤く染まった鼻をぐすっと鳴らした。

「マリアヴェーラ様はこのままでいいのですか。裏切られたと怒ってもいいんですよ」
「わたくし、レイノルド様を怒る気はありませんわ。まだ、心のどこかで信じているのです。レイノルド様には事情があって、ああするよりなかったのだと」

 だから、マリアはレイノルドの豹変を誰にも話さなかった。

 両親には、公爵家から持っていったフィナンシェを喜んでくれたと嘘をついた。
 王妃とお茶をして、マリアが王家に嫁ぐのを楽しみにしていると言ってもらえたとも話して、婚約が順調だと誤解させた。

 小さな嘘で塗り固めないと足下が崩れそうで怖かったのだ。
 しかし、嘘はすぐにばれた。

 宮殿でのレイノルドの様子が父ジステッド公爵の耳に入った。
 烈火のごとく怒った父は、なぜ引き止めておけなかったと、マリアを汚い言葉で叱責した。

 それ以来、食事が喉を通らない。
 マリアのふっくらした肌はたった一週間でしぼみ、絹のようだった髪からは艶がなくなった。

「私は嫌です。マリアヴェーラ様ばかり苦しむなんて」

 ミゼルは握った手に力を込めて立ち上がった。
 引っ張られたマリアは目を丸くする。

「ミゼル様、何をなさるの?」

「気晴らしをしに行きましょう! 大好きな服を着て、かわいい物に囲まれて、甘いお菓子ばかり食べて、現実を忘れてしまうんです。マリアヴェーラ様の侍女の皆さん、ありったけのかわいい格好にお着替えをお願いします!」