今年の夏休みは、充実していた。

 朝は六時半前に起きて、公園でのラジオ体操から始まる。
 スタンプをもらってこないといけないから、みんなは朝早くていやだって言ってるけど、わたしは朝の空気が好きだ。
 なんだか、澄んでる気がするから。

 それから月水金の午前中は部活。
 バスケ部と交互に体育館を使うようになってる。

 一度家に帰ってごはんを食べたら、午後はプール。
 夏休み中に十回プールに行って、スタンプをもらわなくちゃいけない。
 わたしは、アカネちゃんと一緒にプールに行っていた。



「でもさー、出るんでしょ?」

 そんな声が聞こえてきたのは、ある日の更衣室だった。

 夏休み前半、最後のプール開放日。
 わたしとアカネちゃんは泳ぎ終えて、着替えているところにそんな会話が聞こえてきた。

「なになに? なんの話ー?」

 先に着替え終わっていたアカネちゃんは、その集団に近づいていく。

「アカネちゃん、知らない? 藤代公園の池に、ゆうれいが出るってうわさ!」

 ゆうれい……?

 わたしはゆうれいとか怖い話とかが苦手だ。
 悪夢だって、本当に怖くて怖くてしかたなかったんだから。
 今は、パグがいるから平気だけど。

 本当はみんなの話も聞きたくないんだけど、アカネちゃんが目をキラキラさせて続きを聞こうとしてるから、わたしも聞かないわけにはいかない。
 アカネちゃん、怖い話大好きだもんなぁ……。

「なんでも、あの池で自殺した人がいるらしいよ。イジメが原因で、って。それからあの池には、出るようになったんだって」

 ひぇぇ……! それってイジメてた人をうらんでってことかなぁ……?

 みんな、きゃあきゃあ言いながらその話題を続けている。

「あれ? でも藤代公園って……」

「そう! 来週そこで夏祭りがあるじゃん? みんなで肝試ししようって話してたの」

 き、肝試し……?

 藤代公園は広くて、夏祭りをするのは広場の方だけど、池があるところは少し離れた林の中で薄暗い。
 隠れたデートスポットとも言われてるらしいけど、わたしたちは、気味悪がってあんまり近寄らない。

 お化け屋敷も苦手なのに、肝試しなんて……。

 でもわたしがそんなことを考えてる間に、肝試しは決定になってしまっていた。

 そ、そんなぁ……。



   ☆☆☆



 それから一週間後。

「うん、かわいい。さすが私の娘」

 お母さんにぽんと背中を押されて、わたしは鏡の前に立った。

 去年、お父さんに買ってもらったゆかたは、白地ですそに小さな金魚が散りばめられていて、すごくかわいい。
 お店でひとめぼれして、買ってもらったんだ。
 赤い帯を合わせてお母さんに着つけしてもらった。
 髪も、お母さんにおだんごにしてもらう。

 準備完了。
 そこにチャイムの音が鳴った。

「アカネちゃんだ! 行ってきまーす」



 藤代公園の広場は、たくさんの出店が立ち並んでいた。

 焼きそばや焼き鳥を焼くにおい、わたあめの甘いかおり、かき氷を削る音、射的の弾が跳ねる音――。

 お祭りの気配にわたしはわくわくしてきた。

「ヒカリちゃんヒカリちゃん! どれから行く!?」

 アカネちゃんがわたしの手を引いて、はずんだ声を上げる。
 アカネちゃんは赤地に花もようの入ったゆかたに、黄色の帯を合わせて着ていた。
 ふたつに結んだ三つ編みが、アカネちゃんの歩きと一緒に揺れる。

「えっとね、リンゴ飴食べたい!」

「オッケー。あっちだよ!」

 わたしたちは、人込みの中を駆けていった。



 もうすぐ八時。
 クラスのみんなと待ち合わせしていた時間までもうすぐだ。
 わたしとアカネちゃんは、林の入り口へと向かう。

「ヒカリちゃん、アカネちゃん、こっちこっちー!」

 林の入り口には、もうみんなが来ていた。
 ここまで来れば、もう祭りばやしは小さくしか聞こえない。

「よし、みんな揃ったね。じゃあクジで組み合わせ決めよっか」

 順番にクジを引いていく。
 わたしはアカネちゃんとペアになった。
 よかった……アカネちゃんとなら、ちょっと安心だ。

「みんな引いたー? じゃあルール説明ね。奇数の順番の人が池の柵に、このイルミライトの輪っかをかけて、偶数の順番の人がそれを取ってくる。池の向こう側にかけちゃダメだよ! わかりづらくなっちゃうから。手前にかけてきてね。いい?」

 はーい、というみんなの声が上がる。

 わたしたちは六番目だ。
 五分おきにスタートしていく。

「ヒカリちゃん、大丈夫?」

 遠慮がちなアカネちゃんの声が聞こえた。

「だ、大丈夫……。アカネちゃん! 絶対手はなさないでね!」

 いきおいよく言うわたしに、アカネちゃんはぶんぶんと頷いた。

「次は六番目だよー。六番目だれ?」

 その声にわたしはびくっとなる。
 ついに順番がきてしまった……。



 林の中はうっそうとしていた。
 スズムシの鳴き声が怖さを倍増させている。
 家で聞いてる分には、夏だなぁって感じるのに、暗闇の中ではなんでこんなに不気味に感じるんだろう……。

 わたしはアカネちゃんの腕にしがみついていた。
 ふたりでひとつしか懐中電灯を渡されていなくて、暗闇の中でその光は心もとない。

「ヒカリちゃん、ほんとに大丈夫……?」

 見かねたアカネちゃんが、心配そうに聞いてきた。

「だい、じょうぶ……。でも絶対置いてかないでね……」

 アカネちゃんの腕を離すことができない。
 怖い話が好きなアカネちゃんは、この暗闇もぜんぜん怖くなさそうだ。

 アカネちゃんは小さくため息をついた。

「でもさ、あの池で自殺したって人、イジメが原因だったんでしょ?」

 ふいにアカネちゃんが口を開いた。
 そもそものこの肝試しをやることになった理由だ。

「それってさ、なんか悲しいよね」

 うちのクラスは、男子も女子もみんな仲がいい。
 アカネちゃんとけんかしたときは、イジメになるんじゃないかってひやひやしたけど、仲直りしてからはそんな心配もない。

 だから、その自殺したっていう人の話を聞いて、アカネちゃんは考えていたんだろう。

 わたしは怖いのも忘れて、その人のことを考えた。

 自殺するほど苦しかったのかな……。
 そうだよね。誰にも言えなくて苦しかったんだろうなぁ。
 誰か、そばにいてくれる人がいればよかったのに……。

「あ、着いた。ここだよー」

 アカネちゃんの声にはっとした。いつの間にか、池までたどりついていた。

「あった。イルミライト、あれだね」

 池の手前の柵に、緑のイルミライトがかかっている。
 アカネちゃんはそれを取って、

「さ、帰ろっか」

と言った。

 死んじゃった人の悲しみを考えてたせいだろうか。
 そのときわたしは暗闇が怖くなくて、アカネちゃんが先に行っちゃってるのに、池を振り返っていた。

 池の真ん中に、誰かが立っている。
 うつむいてるその男の人は、黒い服を着ていて、わたしはなんでこんなに暗いのに見えるんだろうとぼんやり考えていた。

 そこで我に返った。

「きゃあああああ!!」

 慌ててアカネちゃんのもとへと走っていく。

「ヒカリちゃん!? どうしたの!?」

「そっそこ!! そこにお化けが!!」

 わたしはアカネちゃんの腕にしがみついて、ぎゅっと目をつぶった。
 必死に池を指差す。

 本当にお化けが出るなんて……!

「……なにもいないよ?」

 え?
 そんなはずはない!
 たしかにさっきそこに……。

 だけど顔を上げたわたしの目には、ただ暗い池が映るだけだった。

「あ、あれ……?」

「こんなに暗いのに、お化けなんて見えるわけないよー。木かなにかと見まちがえたんじゃない?」

 そうなのかな……?
 たしかに見たと思ったんだけど……。

 結局よくわからないまま、肝試しはぶじに終わった。