五月の日差しは少し強くなってきていて、過ごしやすい季節になっていた。

「ゆううつだなぁ……」

 体育館のすみっこに座り込んでため息をつくわたしに、アカネちゃんが上から声をかけた。

「そんなに不安になることないってー。気楽にいこ?」

 ヒュンっと音がする。

「ごめーん! 取ってー!」

 わたしたちの前に、シャトルが飛んできていた。



   ☆☆☆



 四年生になって、一か月。
 つまりバドミントン部に入ってもう一か月だ。

 新入部員の初試合が、一週間後に迫っていた。

「アカネちゃんはいいよねぇ。運動神経いいもん……」

 アカネちゃんに誘われて入ったバドミントン部。
 楽しそうだなと思ったけれど、わたしが打つシャトルはなかなか思う方に飛んでいかない。

 運動神経ばつぐんのアカネちゃんのシャトルは、まるで魔法を使うかのように相手のコートにどんどん落ちていく。

 アカネちゃんは小さいときからそうだった。
 かけっこではいつもいちばんだし、ドッジボールも最後までコートに残って逆転勝利なんてことも一度や二度じゃなかった。

 わたしも、足は遅い方じゃないんだけれど、アカネちゃんにはかなわない。

「シャトルをちゃんと見るんだよ。最後の最後まで見る。そして打つ!」

 アカネちゃんは素振りをした。ヒュンっと音がして、わたしたちは笑い合った。



 アカネちゃんとまたこんな風に話せるときがきて、本当に良かったなって思う。

 アカネちゃんにあいさつをしたあの日の放課後、わたしたちは一緒にノートを買いにいった。
 おそろいの赤いチェックのノート。
 やっぱりこれじゃないと落ち着かない。
 ピンクの水玉のノートは、漢字の書きとりノートにしている。

 今はそのノートもランドセルにしまって、ロッカーの中だ。
 放課後の部活の時間は、バドミントンのラケットしか持っていない。

「バドミントンは好きなんだけどねぇ……。試合ってなると緊張しちゃう……」

 集合の笛が鳴った。わたしは立ち上がる。アカネちゃんと並んで先生のところへ駆けていった。

「慣れだよ。私と一緒に練習しよ!」

 アカネちゃんが言うと、できそうな気がしてくる。
 パグも言ってた。
 『心を強く持て』って。

 だけどそのあとの試合形式の練習で、わたしはアカネちゃんにこてんぱんにやられたのだった。



   ☆☆☆



 「ヒュン! ヒュン!」と、風を切る音がする。
 飛行機かな?

 ううん、違う。
 飛行機だったら、こんなに短い音じゃないはず。

「わっ!」

 わたしの真横を、なにかがすごいいきおいで飛んでいった。
 暗い地面になにかが落ちている。

「これは……シャトル?」

 地面だと思ったそれは、よく見たら黒いシャトルのかたまりだった。

「なに、これ……」

 もしかして、という気持ちがわたしの心の中に浮かぶ。
 わたしの夢に出てくる黒い影。最近は見なくなっていたのに……。

 そのときだった。
 ひときわ大きい風の音がして、振り返って見たものに、わたしは言葉を失った。

 わたしの背の何倍もある黒いシャトルが、こっちに向かって飛んできていた。

 よけられない!

 わたしはぎゅっと目をつぶったけど、いつまで経っても衝撃はこなかった。
 そっと目を開けてみる。

「ギリギリセーフ」

 聞き慣れた声がした。
 黒いコートにストライプのパンツ。
 長い剣を腰に差して犬耳ぼうしを被ったその人は――。

「パグ!」

 シャトルに向かってパグが剣を突きつけていた。

「久しぶりだなぁ、ヒカリ。元気にしてたか?」

 パグは、顔だけわたしの方を向いて言った。
 それを見て、わたしは焦る。

「パッ……パグ! 危ない!」

 黒い大きなシャトルがまたパグに襲いかかろうとしていた。
 パグはぱっと向き直ると、剣を突き出した。

 パグの剣はみごとにシャトルに突き刺さり、黒い影はすうっと消えていった。

「改めて、久しぶりだな」

 わたしのところまで歩いてきて、パグは言った。

「ほんとにね。パグも元気だった?」

「おう!」

 アカネちゃんとの問題が解決してから、悪夢は見なくなっていた。
 それと同時にパグにも会えなくなっちゃったけど、またこうして会えて本当に嬉しい。

 だけど、喜ぶわたしとは反対に、パグは目を泳がせた。

「パグ?」

「あー……えっと……。おまえに言っとかなきゃいけないことがあるんだけど……」

 めずらしくパグが口ごもる。ハキハキなんでも言う人だと思ってたから、わたしはふしぎに思った。
 パグはパンッと手を合わせた。

「悪い! ヒカリは悪夢に取り憑かれやすい体質になっちまったみたいだ!」

 あたりにしんとした空気が流れる。パグがちらりと目を開けて、わたしを見た。

「えっと……どういうこと……?」

 パグはがしがし頭をかきながら話し始めた。

「俺さ、実はまだ正式な夢食い獏じゃないんだ。まだ修行中の身で……。この前おまえの悪夢を食っただろ? あの悪夢はちゃんと消えたんだけど、半人前が退治したせいかヒカリの夢と悪夢が繋がる道ができちまったんだ……。ほんっとーにすまない!」

 パグはまた手を合わせて、頭を下げた。
 つまりわたしは悪夢を見やすくなっちゃったってこと?

「また……あの影みたいなのが来るの……?」

 今日も黒いシャトルが現れた。またあんなのに追いかけられると思ったら……。

「大丈夫だ。俺が守る」

 ぶるりと身を震わせたわたしに、力強い声が届いた。
 わたしはパグを見上げる。
 パグがまっすぐにわたしを見ていた。

 わたしはほっぺたが熱くなるのを感じた。

「パ、パグが原因なのに……!」

 ついツンとした言い方をしてしまった。

「それについては悪かったよ……。今度は何に悩んでるんだ?」

 心底もうしわけなさそうに言うパグが、何だかかわいく見える。
 変なの、年上なのに。
 そういえば、パグって何歳なんだろう?

「ヒカリ?」

「あっ……えっとね、来週バドミントンの練習試合があるの。でもわたし、コートに立つと緊張しちゃって……」

 パグは黒いシャトルをひとつ拾って、あぁと呟いた。

「それで、シャトル」

 わたしはうなずいた。黒いシャトルが飛んできたときからうすうす感じていたけど、やっぱり部活のことがこの悪夢の原因らしい。

「しゃあねぇなぁ。じゃあいっちょ、特訓すっか」

 そう言ってパグは腰に差したさやを引き抜いた。そして顔の前まで持ってくると、目を閉じた。
 するとさやが輝きだした。てっぺんが丸くなっていって、やがて光が収まっていく。
 さやはバドミントンのラケットになっていた。

「うわぁ……」

 こんなこともできるんだ!
 パグはそのラケットをわたしに押しつけると、同じように剣もラケットに変えてしまった。

「こんなこともできるんだね!」

「おう。夢の中は自由だ」

 パグはラケットだけで黒いシャトルを拾うと、ポーンポーンと何度か上に向かって打った。
 すごいなぁ、ラケットだけでシャトルを拾うの、六年生の先輩でも、何人かしかできないよ。

「パグはバドミントンやってたの?」

 パグは左手でシャトルをキャッチした。

「昔、やってたんだよ……。それより!」

 その言い方が気になったけど、パグが話を変えてしまったから、聞くことができなかった。

「試合まで俺がみっちり特訓してやる! 所詮夢だがヒカリに足りないのはイメトレ……イメージトレーニングだ!」

 パ、パグが顧問の先生みたいな顔してるー!