「お、来たな」

 パグのその言葉で、わたしは夢の中にいるんだとはっきりわかった。
「こんばんは」

「はい、こんばんは。……どうしたぁ? なんか沈んでねぇか?」

 パグは目ざとく気づいてくる。
 いつもどおりにしているつもりだったのに。

「なんでもないよ?」

 そう言うけれど、パグは疑うような目を向けるだけだ。

「そうかぁ? なんかあったらちゃんと言えよ? 現実世界のことが夢に影響してんのは、よくあることなんだからな」

 わたしはドキッとした。

 うすうす気づいてたことだった。
 悪夢を見るようになったのは、アカネちゃんとケンカしてからだ。

 それが悪夢を見る原因なんじゃないかなって、ちょっと思ってた。

「パグは……どうしてわたしのところに来たの?」

 話を変えたわたしを、パグはじっと見た。
 わざとらしかったかな?

 それでもパグはなにも言わずに、ふいっと前を向いた。

「本部のやつらが悪夢レーダーを監視してるんだ。レーダーが反応したら出動。俺はこの地区を担当してて、昨日が当番の日だったんだ。だからヒカリに会えた」

 そう言うとパグはわたしの方を見て、ほほえんだ。

 ずっと悪夢の中にいたから、笑いかけてくれる人がいるんだって思ったら、なんだかほっとしてしまった。

「おいおい泣くなよー」

 わたしはごしごし目をこする。

「……泣いてないよ」

 あきらかに、ウソだってわかっちゃうよね……。
 だけど、パグはなにも言わないでいてくれた。

 そのとき、あたりが急に暗くなってきた。

「勝負はこれからなんだからな」

 パグはわたしの腕を引いて立ち上がった。

 その視線の先で、黒い影が集まり始めていた。

「そこから動くなよ……!」

 パグは剣を抜いて駆け出した。
 一直線に影へと走っていく。

「パグ!」

 影の近くまで行くと、パグは強く地面を蹴った。
 高く飛び上がって影の頭上に剣を向ける。

「逃がさねぇ、ぜ!」

 だけど影は、パグの剣をぎりぎりのところでかわした。

 パグは片足で着地すると、また強く踏み込んだ。
 影もそれに対戦しようとする。
 影の一部が細長くなったかと思うと、パグの剣を受け止めた。

「やるじゃねぇか」

 パグはにっと笑って、そう言った。
 そしてぐっと押し返す。
 剣を弾かれて一瞬隙ができた影を、パグは真っ二つにした。

「やった、の……?」

 わたしが尋ねたけど、パグは黙ったまま影が消えるのを見ていた。

「いや、これは分身だ」

 パグは剣を振って影を散らす。
 今度こそ、影は消えてしまった。

 くるりとパグがわたしの方に振り向く。
 突然すぎて、わたしはびくっとしてしまった。

「ヒカリ、こいつは相当根が深そうだぞ。おまえいったい何やったんだ?」

 射抜くような視線に、わたしはなにも答えることができなかった。



   ☆☆☆



 目が覚めて、今日は追いかけられなかったなぁと安心した。

 だけどパグのあの目つきを思い出して、わたしはゆううつになる。

 パグは悪夢を見るのは現実のできごとが原因だと言っていた。
 なら原因はアカネちゃんとケンカしたことだと思う。

 どうやってアカネちゃんと仲直りしたらいいんだろう……。

 アカネちゃんの怒った顔が頭に浮かんで、わたしはベッドの上で途方にくれた。

「ヒカリー、遅刻するわよー」

 お母さんの声が一階から聞こえた。



 アカネちゃんとケンカしてから、学校では他の友達と休み時間を過ごしていた。
 おしゃべりするのも、トイレに行くのも別の子たちで、なんとなく違和感がする。

「そういえばさー、なんでヒカリちゃんとアカネちゃんってケンカしてるの?」

 ノートをくれたマイちゃんだった。

 わたしは本当のことを言っていいのか迷った。

「えっと……わたしが約束破っちゃったから……。おそろいのノート使おうって言ってたんだけど……」

 マイちゃんはそう言ったわたしをじっと見た。
 みんなも無言でわたしを見ている。

「えー! なにそれー!」

「それだけでアカネちゃん怒るって、ひどくなーい?」

「ほんとほんと!」

 思いもしなかった反応に、わたしはびっくりした。
 悪いのは約束を破ったわたしだと思ってたから。

 みんなはアカネちゃんの悪口を言い続けている。

「ねーねーなんの話? いまアカネちゃんが走ってったけど」

 教室に入ってきたサキちゃんが、わたしたちに話しかけてきた。
 みんなの口がぴたりと止まる。

「……聞かれちゃったかな」

「いいんじゃない? アカネちゃんが悪いんだし」

「そーそー」

 気まずかった雰囲気が、いつの間にか、いきいきとしたものになっていた。
 みんなは、悪口で盛り上がっている。

 こんなつもりじゃなかったのに……。

 廊下の先を見てみるけど、アカネちゃんの姿は、もうそこにはなかった。



   ☆☆☆



 『夢と現実はリンクしている』

 パグが言ったことは本当なんだな、とわたしはしゃがみ込んでぼんやり考えていた。

 あたりは真っ暗だ。
 もう夢の中だとわかっている。

 このままじっとしてたら、またあの影がやってくるのかな。
 ……捕まっちゃっても、いいかな……。

 そんなことを思った瞬間だった。

 キィン!

 高い音が響いて、わたしは反射的に顔を上げた。

「なにやってんだよおめーは」

 パグだった。

 パグの先には黒い影がうずくまっていて、やっぱり今日も現れたんだなぁとぼんやり考えていた。

 パグはずかずかとわたしの方へ歩いてくる。
 そして。しゃがみこむわたしの肩を、がしっと掴んだ。

「なにがあったかはあとでじっくり聞いてやる。今はアレを倒すまでじっとしてろ」

 頭にパグの手が触れた。
 その手はわたしを髪をぐしゃぐしゃと撫でて、離れていく。

 パグは影に向き直った。
 影も、もう体勢を立て直していて、パグと向き合っている。

 ……助けてくれなくて良かったのに。

 あんなに大切だったアカネちゃんを守れないわたしなんて、いらない。

 大事な親友との約束を守らなかったわたしなんて、消えてしまえばいいのに……!

「ヒカリ! 心をしっかり持てよ!」

 その声に、はっとした。

 パグの方を見ると、影がさっきの何倍もの大きさに膨れ上がっている。
 それを押し返すパグの剣は、今にも力尽きてしまいそうだ。

「言っただろ? 夢の力はおまえの力。弱い心じゃ飲み込まれるぞ!」

 負けそうだった剣は、パグがそう言ったのと同時に影を押し返した。
 影が吹き飛んでいく。

「おまえが大事にしたい気持ちは、その程度のモンか!?」

 わたしは目を見開いた。
 その瞬間、強い風が吹いた気がした。

 アカネちゃんのことが本当に好きだった。
 ずっとずっと、おとなになっても仲良くしていきたいと思っていた。

 あのときちゃんと、「アカネちゃんはそんな子じゃない」って言わなきゃいけなかったんだ。

 わたし、もう一度、アカネちゃんと仲良くしたい!

「やればできるじゃねぇか」

 立ち上がったわたしを見て、パグはにっと笑った。

 あたりはさっきよりも明るくなっている。
 悪夢を見始めてから、こんなに明るいのは初めてかもしれない。

「そのまま気持ちを保っとけよ! いくぜ!」

 パグが駆け出した。
 影へと突進していく。

「いっけー!」

 わたしは思わず叫んでいた。
 こんな大声を出したのは、初めてだ。

 心臓が、バクバク言っていた。

 パグは思いっきり踏み込んで、影を真っ二つにした。
 ざぁっと影が消えていく。

 あとに残ったのは、手のひらサイズの赤いチェックのノートだ。
 パグはおもむろにそれを食べた。

 お、おいしいのかな……?

「……さくらんぼっぽいな」

 剣をさやにしまうと、パグはゆっくりとわたしのもとへと近づいてきた。

 わたしはパグを見上げる。
 手が伸びてきた。

「よくがんばったな」

 そう言ってパグはポンポンとわたしの頭を撫でてくれた。
 優しい手つきにわたしはほっぺたが熱くなる。
 心臓が早くなるのを感じた。

「パ、パグが助けてくれたから……」

 うつむいてどうにかそれだけを言えた。
 パグの手が離れていって、ようやく心臓が落ち着いていった。

「ヒカリが心を強く持ってくれたおかげだよ。おまえの心には光の力があるんだな。優しい月のような光が」

「月の……光?」

 パグは強くうなずいた。

「周り、明るくなってるだろ? さっきまでヒカリの気持ちに引きずられて真っ暗だったけど、月の光の力であの影を追っぱらうことができたんだ」

 明るくなった気がしたのは気のせいじゃなったんだ。

「わたし……みんなに違うよって言えなくて……」

「うん」

「アカネちゃんはそんな子じゃないのに……。ひどいことしちゃった……」

「うん」

「ほんとは大事な友達だったのに……」

「言えるじゃねぇか」

 その言葉にわたしは顔を上げた。
 パグは優しくほほえんでいて、その笑顔にわたしはほっとした。

「俺に言えたんだ。アカネちゃんにも言えるだろ?」

 胸の中に、さっきよりも強い光が灯ったようだった。
 パグにできるよって言われたら、本当にできそうな気がしてくる。
 これは月の光の力なのかな?

「わたし、がんばってくる」

 パグが、ぐっと親指を立てた。

「ヒカリならできるさ。ほら、もう夜明けだ」

 振り返ると、まばゆい光がわたしを飲み込もうとしていた。



   ☆☆☆



 心臓がバクバクいっている。
 これは、昨日パグと会ったときのようなドキドキじゃない。
 緊張のドキドキだ。

 また無視されたらどうしようって気持ちもある。

 だけど、一歩踏み出さないと、なにも変わらないんだ。

「おはよー」

 その声にどきっとした。
 アカネちゃんが、他の子にあいさつする姿が見えた。

 わたしは足を踏み出した。

「アカネちゃんおはよう! あのね……」

 びっくりした顔のアカネちゃんが、笑顔になるまで、もう少し。