「お、お試し……?」



恋愛をするときに、そんなワード聞いたことない。

戸惑うわたしに、弓木くんは。




「そ、お試し。中瀬がやっぱ無理ってなったらいつでもクーリングオフしていいし」

「仮契約、ってこと……?」

「興味あるんだろ。幸せな恋ってやつに」




ごくり、唾を飲みこむ。


たしかに、興味はある。一度くらい、わたしだって心の底から幸せだって思える恋がしたい。だって、憧れの世界なんだもん。


ぐらん、と天秤が傾いた。

弓木くんの目を、じっと見つめる。



「いい、の……?」



おずおずと尋ねるわたしに、弓木くんは口角を上げた。

どこか満足げな笑み。




「じゃあ仮契約、成立ってことで」

「う、うん」

「中瀬は今から俺の彼女、な」

「は、はい……」




か、かのじょ……!!

弓木くんの口から出た単語だとは到底思えず、なにかとんでもないことに手を染めてしまったのかもしれない、とわなわな震える。



固まって動けないわたしに、ちょっと笑った弓木くんは、カタン、と立ち上がる。

あれ、そういえば弓木くんってここに何しに戻ってきたんだっけ……。




「じゃあ、俺帰るけど」

「あ……えと、うん」

「中瀬はまだここにいる?」

「う、うん」



なにも考えられない。

てきとうに頷くと、弓木くんはどこから取り出したのか、コツン、となにかをわたしに机に置いた。


ペットボトル。

よく冷えているみたいで、水滴がついていた。




「ミルクティー……?」

「それで目、冷やしとけば。明日、土偶になんのがいやだったら」

「え」

「じゃ、また明日」




ひらひらと手を振った弓木くんの手のひらが、去り際、さらっと一瞬、わたしの髪を撫ぜていく。


ガラガラ、と教室の扉の音の向こうに弓木くんの背中が消えて見えなくなって、わたしはしばらく立ち尽くしていた。


のち。




「ゆ、夢……? えええええ」




なにもかも、信じられない。


弓木くんがくれたミルクティーのボトルを目に押し当てる。ひんやりして気持ちいい。


閉じたまぶたの裏、思い浮かべるのは、わたしの髪を撫でた弓木くんの一瞬見えた横顔が、びっくりするくらい甘かったこと。




────弓木くんは、どうやらわたしのことが、好きらしい。






𓐍
𓏸




夕焼け空、帰り道、喉に流しこんだミルクティーはやけに甘ったるくて、いつのまにか失恋の涙が止まっていたことに気づいた。