家族との別れを済ませたリナローズは夫となるその人と馬車の中で向かい合っていた。あの婚約破棄騒動以来お互いに多忙を極め、顔を合わせるのは初めてだ。

「お待たせして申し訳ありませんでした」

「いや」

 ノルツは挨拶もなしに、いかにも不機嫌と言う形相でリナローズを迎えた。それも仕方なく相席しているだけという、張り詰めた空気だ。

 夫婦の門出は無言のままに、馬車は進み出す。それは追放地までの長い長い旅の始まりだが、新婚初日にしてはあまりにも情緒のない始まりであった。

 ノルツは不機嫌そうにそっぽを向いたきり、こちらに視線を向けようともしない。ノルツの整った容姿を形成する一部、釣り上がった目元に引き結ばれた唇は美しいが、人によっては怖ろしく感じるだろう。
 幾度にも渡る婚約解消の申し出に嫌われている自覚はあったが、もはや二人の運命は分かたれない所まで来てしまったので、そろそろ諦めてほしいとリナローズは思う。
 リナローズは果敢に口を開いた。

「婚約破棄は失敗に終わりましたね」

 無反応を貫いていたノルツの唇が僅かに揺れる。その言葉に動揺したのは間違いなかった。
 長い旅路なのだから、目的地に着くまで夫婦水入らずでゆっくり話したい。結婚式は挙げていないが書類上、二人はすでに夫婦なのだから話し合いは必要だ。

「俺は君と結婚したくはなかった」

「存じております」

「その顔」

 ノルツは忌々しそうに呟く。リナローズの目にするノルツはいつだって不機嫌さを隠そうともしなかった。

「何故君は笑っていられる」

「はい?」

 それは初めて聞く疑問だ。
 何度も何度も、顔を合わせるたびにリナローズは拒絶され続けた。けれどリナローズはいつだってノルツに笑顔で応える。それはとても自分を否定する男に向けられるべきものではないと、ノルツは不思議でならなかった。
 今だってそうだ。まるで傍にいられることが幸せだと言わんばかりの表情を浮かべている。

「幸せだからに決まっています。ノルツ様はわたくしを脳天気だと仰りたいのでしょうが、こんなにも幸せなんですもの。頬が緩んでしまうのも仕方がないことですわ」

 ついにノルツの視線がリナローズに向けられた。その眼差しは信じられないという驚きに染まっている。

「俺は君を否定し続けた。王位争いにも敗れた挙句惨めに追放され、辺境へと追われる。先のパーティーでは公の場で婚約破棄を言い渡し、君を晒し者にまでしたのだ。そんな相手に嫁がされておきながら何故笑える!」

「それはわたくしがノルツ様の優しさを知っているからですわ」

「君の目は節穴か。俺のどこが優しいなどと」

 信じられないという眼差しに責められてもリナローズは臆さない。

「ノルツ様はお優しい方です。口癖のように婚約解消を提案したのはわたくしを追放に巻き込まないためでしょう?」

 ノルツはリナローズの言葉が信じられなかった。自身が追放される可能性をリナローズが予期していたとは思わなかったのだ。