乙女ゲームに逃げてしまうわたしには、ちょっと難しい気がする。現実世界の真ん中で生きている折口くんは、さすがにハードルが高い。
わたしたちと別れて、それまでは押していた自転車を立って漕ぎ出した折口くんの背中を眺めていた。
普段なら〝見送っていた〟なのだけど、きょうは、彼という存在を無心で眺めていた。
こころ、ここにあらず。まさにそんな状態のわたしの耳もとで、ゆるりと甘えた声が冬の空気を震わせる。
「ねえ、こっち向いてよ」
それを合図に慌てて顔を合わせると、一条くんが拗ねていた。相変わらずわかりやすい。
ちらと確認したスマホの待ち受け画面が、19時を過ぎたことを教えてくれる。もう、すっかり夜だ。空を覆った濃紺の布に、光る月が縫い付けられる。
人工的な光に照らされた一条くんは、夜があまり似合わない。なんだか妙に大人っぽくて、朝の彼とは別のひとみたいだ。
「よそ見しないで」
「よそ、み?」
「そう、こっちだけ見てて」
澄み切った声が、駅前特有の雑音に重なる。あざとい一条くんに、赤いハートがきゅんと締め付けられる。
わたしって、わるい、女かもしれない。折口くんとのさっきの会話を、一条くんには知られたくないと思ってしまう。
しかも、それだけじゃない。もし、さっきの会話を知ったら、一条くんはどうするだろうと好奇心がむくむくと膨らんでくるんだ。



