白峰月 序十四日


ビリー。


散々な目に合わせるという意味を、もう一度よく考えてはどうかというのが感想です。

私にもなにをもって終わりがくるのか、分からなくてなってきました。

引き際と終点を見誤るとこんなにも無様なのね。

勉強になります。






呼び込まれて会場に入った後は、マリオンは壁際の辺りにいた。

広間の中央付近には誰もおらず、列席者はそれぞれにまとまって談笑している。
対角線上の広間の奥側に、立派な騎士服の壮年の男性、リックとリディアはその人物と話をしていた。

カイルはそこに参加する気はないらしく、マリオンの横に貼り付く。

枝から枝へ移る小鳥のように、忙しなく卓の間を行ったり来たり、マリオンは美味しそうな料理を吟味している。

「……食べないのか」
「ちょっと待って下さい、容量の問題があるので」
「落ち着かないな……座ってろ、俺が取ってきてやる」
「ダメですよ。言ったでしょう、全部は食べられません。厳選しないと……」
「そうか?」

カイルはマリオンの頬を引っ張る。
たくさん入りそうだけどなと、笑いを漏らした。

それでもとすぐ近くにあるグラスを手に取って、ひとつをマリオンに渡す。
ほんの少しだけ白濁した透明な液体は、果実のようなすっきりとした香りがした。
酒精の気はないので口をつける。

特に魔術師は、だが、例え宴の席であっても酒を口にする者は少ない。
酔って気が大きくなったり、不明になることで起きる悪影響の方を気にする。

騎士にもその心がけは必要なので、カイルも迷いなく酒を控える方を取った。


マリオンは自分のグラスの端を軽く指で弾いて、カイルのグラスにも同じようにした。
すぐにグラスの外側が白く細かな水滴に覆われる。

「……冷やしたのか」
「冷えてる方が美味しいです」
「うん…………便利だな」
「でしょう?」

果実水を飲みながら見上げた半球形の天井には、見事な絵画が描かれている。
よく晴れた日の風景画で、森の木陰には婦人、水辺を駆ける小さな子どもたちを眺めている。そんな夏の昼下がりの絵だ。
半球の天辺の水色と、金の縁取りの取り合わせが美しい。

細かなところまで見入っていたからか、カイルもそれに釣られて天井画を見上げ、この建物が夏の館であると教えてくれた。

季節ごとに景色の違う館があるのだと付け加える。

へぇと息を漏らして再び天井を見上げると、マリオンは背中にどすりと衝撃を受けて、そのまま真前にいたカイルの胸に顔をぶつけた。

短い悲鳴を聞きながら、声を上げたいのはこちらの方だと、ひどくぶつけた鼻を押さえる。

「ひどいわ! 何ということをしてくれたの?!」

ただ立ってぼんやり上を見ていたことがいけなかったのか。文句を言っているのは、不躾に見ていた天井画の婦人かと心中でこぼすが、声には聞き覚えがあった。

怒り散らす人物にも、大袈裟に同情や賛同の意見を述べる人たちの声にも。

「大事な人からいただいた衣装なのに!」

それはこちらも同じことだと、マリオンは自分とカイルの間で服の色が変わっていくのを見下ろした。

ふらと手を振って、空になったグラスに、ふたりの衣装に染み込んだ水分を移す。

「ひどいわ、なぜ(わたくし)にこのような仕打ちを……」

涙目で振り返ったオリビア嬢の前で、マリオンはもう一度ふらりと手を振る。

豪勢な衣装に長細く染みた、きつい匂いの赤色は嘘のように消えて、オリビア嬢の持っていたグラスに戻っている。

「も……元に戻したからといって、貴女の仕打ちは無かったことにはならないのよ」
「元には戻っていませんよ、酒精は空気にいくらか飛んでいますし、衣装に染みている水分と定義しているので、汗も混ざっています。それに水分にとけた匂いも、埃も混入していますから」

だからそれは飲まないで下さいねとオリビア嬢のグラスを指さした。

「話をすり替えてごまかそうとしないで」
「そっくりそのままお返ししますよ」
「貴女が(わたくし)の衣装を汚そうとぶつかってきたのでしょう?!」
「……私は立っていただけですが?」
「嘘はおっしゃらないで、なんて白々しい」
「……ちょっと失礼、お嬢様方」

間に割って入ったのは、魔術師のローブを纏った壮年の男性。
所々に白が混ざるが、それ以外は濃い髪の色をしている。立派なローブは王宮のお抱え魔術師だと主張していた。

「魔力の動きを感じた。術を繰ったのかな?」

真剣な顔はマリオンの方を向いている。
同じ顔を作ってはいと頷いて返す。

「ふむ……理由は分かるが、この場で術を使うのは良いこととは言えないな」

このあとすぐにでも王妃がお出ましになる場だ。
そこで魔術を展開しては叛心ありと疑われても仕方がない。
それがどんな術だとしても。

「はい、申し訳ありません」
「……解ればよろしい」

男性は真剣な顔で頷いたすぐ後ににこりと顔を作り替えて、どうやったのと子どものようにマリオンに質問する。
マリオンが返事をする前に、それを遮る声がした。

「待ちなさい、まだ(わたくし)との話は終わっていません」

マリオンが頷くように頭を下げると、男性はにこりと笑って場を譲ってくれた。

「……そうですね、お礼なら早く言って下さい」
「礼ですって?! 何故? 衣装を汚されたのに?!」
「……だれに?」
「貴女よ、マリオン・リー・マーレイ!」
「……どこを?」
「この辺り、全体にお酒がかかったのよ!」
「……元より綺麗になってますが?」
「それは、悪事を隠そうとしてのことでしょう!」
「隠すも何も……貴女が大きな声で騒ぐから周りの人はみんな私の『悪事』とやらを見ていますけど?」
(わたくし)の衣装は貴女のその卑しいそれとは違うのよ」
「そうですか?」
「まるで下着だわ! 恥を知りなさい!」
「貴女こそ胸を半分は放り出してますけど、恥ずかしくないんですか?」
「何ですって?!」
「頭悪そうにしか見えませんね、と言ったんです」
(わたくし)を馬鹿にしているの?!」
「はい。そんなことよりも泣かなくていいんですか? そんな剣幕で怒っていたら、いつものように同情してもらえませんよ?」
「誰に向かってそんな口を! 魔術師風情が!」
「……うわぁ、ひどい。醜い顔も言葉も覆い隠せてませんね」

オリビア嬢の手が震え、顔の前に持っていた扇の飾りが細かく揺れている。
勢い良くぱちんと閉じると、その腕を振り上げた。

同時にカイルが一歩踏み出す。ある程度予測して反応は早かったが、マリオンの背後にいたので遅れを取る。
後ろから腕を肩に回して、一緒に身を引いた。

オリビア嬢の腕が振り下ろされる前にそれを制したのは、宮廷魔術師の手だった。

「失礼、お嬢様。会場内での魔術展開よりも、暴力の方がご法度ですよ」
「……離しなさい、穢らわしい!」
「なるほどなるほど……ふんふん」
「何よ!」
「口が悪いなと思ったが、君の言う通りだ。このお方は本当に頭が悪いな?」

宮廷魔術師はマリオンの方に振り向く。そう質問されて、でしょうと気持ちを込めて少し肩を竦めて見せた。

思い出したように手を外すと、オリビア嬢は自分の両親の名と来歴を高らかに言い放ち、見事な捨て台詞を吐いて離れて行った。

あまりの見事さに感心したまま見送る。

「……あの調子から推察するに、君の方が因縁をふっかけられているようだな」
「面白いですよね、あの人」
「……君が楽しんでいるのなら問題は無いのかな?」
「そうですね、特に不具合は感じません」
「ふむ……それは重畳。私の質問は今後の楽しみに取っておくことにするよ。君もこの夜を楽しみたまえ」
「はい、ありがとうございます」

ふらりと去って行くその人の姿がなくなる前に、マリオンは背後を振り返って見上げる。

「カイルも、ありがとうございます」
「……いや」
「……離してもらっても良いですよ」
「ああ……そうだな」

気が付いたように腕を緩めて、その手はついでにマリオンの鼻を摘む。

「……まったく……休まる暇がないな」
「私は別に……」
「俺のはなしだ」
「……それは……大変申し訳ないとしか」

でもやめて下さいとカイルの手をはたき落とすと、おかしそうにくくと笑う。
マリオンもそれに安心して笑顔を返した。



壇上に人が現れ王妃のお出ましを告げる。

皆その場で畏った礼の形を取った。

腰を冷たいもので撫でられた感覚。
そわりと何かが背中を這うような、ちりちりとした感じがして、カイルはふとマリオンの方を見た。

見下ろす格好になるのでマリオンの表情は見えないが、頬も口元も持ち上がっているのだけは判る。

足音と衣擦れの音が止むと、誰もが計ったように一斉に頭を上げた。

その時にはマリオンは感情を窺い知れない顔になり、少し目を伏せている。

王妃の言葉を真剣に聞いているように見えて、同時にカイルは自分がマリオンをよく見ていることに気が付いた。

王妃の話はひとつも耳に残らなかった。



目を付けていた料理を食べようと、あちこち移動してはカイルと分け合って食べた。
その方がたくさんの種類を食べられると提案されて、もっともだと実行する。

顔見知りの先輩たちと少し話をし、カイルだけではなく、リックやリディアともダンスをした。

特にリディアとのダンスはなぜか男女共に評判が良く、その後リディアはたくさんのご令嬢を相手に踊る羽目になる。
リックから大変に揶揄われていたが、羨ましいなら素直に言えばと返される。



陽は完全に落ち、夜が更ける前、みな楽しむようにと言葉を残して王妃は退席された。


「……カイル」
「なんだ?」
「あっちの白いふわふわが気になっているんですけど」
「甘そうだな」
「半分……」
「……手伝おう」
「やった!」
「…………落ち着いてきたか?」
「ずいぶんお腹が膨れたので」
「でもまだ食べるんだな?」
「あれで終わりです」
「……取ってこよう。そこに座っていろ」
「ありがとうございます」

マリオンの髪をひとふさ手にとって、するりと手の中を滑っていく感触を楽しんでから、カイルは遠くの卓にある白いふわふわを取りに向かった。

席に着くと、隣にリックがどかりと座る。

「……楽しんでる?」
「お腹ぱんぱんです」
「はは……マリオンは夏季休暇どうするの? 家に帰る?」
「どうしたって滞在時間より移動時間の方が長くなりますからねぇ」
「だよね……うちくる? 遊びにおいで?」
「あ、あぁぁぁ……遠慮しますぅ」


故郷までの半分の距離にあるリックの実家までと、それに使う時間のことを考える。
マリオンは学院に残って温室の世話をする方を選んで即答した。




包み隠さず素直に言うと、リックは残念と大袈裟に声を上げながら、マリオンの頭をぐりぐり撫でた。



戻ってきたカイルに睨まれて、なぜかマリオンまで一緒に怒られる。