「終わってないとはどういう意味だ」
「まだ続いてるっていう意味」
「戦が?」
「他に何が?」
「……戦に行ってたのか?」
「うーん……たまに? 巻き込まれたら?」
「そ……んな……どうして教えてくれないんだ」
「そういう悲壮な顔すると思ったから」

この何でもないような表情の裏で、いつもと変わりなく振る舞う内実で、マリオンは何を秘めていたのか。

まだ終わっていないと軽く言った言葉が、どれだけ重い意味を持っているのか。

「どうしてその荷物を俺に分けようとしない」
「私のものだから」

もう言葉が出ない気がして、カイルはマリオンを抱き寄せる。
いつものように力いっぱいではなく、緩く体を預けるように。

マリオンもカイルの背中に腕を回すと、叩くのではなく、大きく撫で下ろす。

「……ものすごく後ろ向きに考えてる?」
「……辛すぎて吐きそう」

ふと笑う気配がして、マリオン顔を見下ろした。

「見て見ぬフリはできたけど……すっきりしないというか」
「うん……」
「放っておいても良いけど、それも気になるというか」
「そうか……」

とても強い戦力だったが、あの時のマリオンは本当に子どもだった。
年を偽った十三の少女。
自分を斬りつけた、心を病んだ少年兵よりも年下だったのだと、カイルは今になって気が付いた。

育ててもらった恩を返す為に、名を上げようとしていた。

なんともないはずはない。
濃く暗い影は、どんなに強い人の上にも掛かる。

誰にでも冷たい風があたるように。

「…………うるさいな、ちょっと静かに」
「…………何も言ってないぞ」
「考えるの止めて。……思考がうるさい」
「無茶言うな」
「あとその顔もやめて」

ぐいと腕を突っ張られて、カイルは簡単によろりと離れていった。

「哀れんでる? 勝手に遣る瀬なくなってない?」
「…………なってる……どうしたらいい……俺にできることはないのか」
「放っといて欲しい」
「そんなことできるか!」
「……だから内緒で来てたのに」

マリオンは大きくため息を吐き出す。
今日はもういいと溢して、手を持ち上げ、門を開こうとする。

カイルはその手を掴んで、マリオンを自分の方に向けた。

「マリオンは今ここで何を? 戦場はもっと向こうだと言ったな?」
「……ここは私がいた頃に戦場だった……今は向こうに移動した」
「……だった場所で、何を」
「たくさん人が死んだ……一緒に来た先輩もここで……味方も、相手も……人は死んでも強い想いは残るから」
「そうなのか?」
「人の生きる世界に、死んだ人の想いが濃く残るのは良くないから」
「それで?」
「今生きている人が困らないようにしないと……って」
「何をしているんだ?」
「もういいよって教えてあげないと。苦しくないよ、もう戦わなくていいんだよ、って」
「亡くなった人たちに?」
「まだ戦おうとするから」
「それを、伝えてるのか?」
「死んでるって気付いてない人って結構多くて……一人一人に話をして」
「マリオン……が、そんな……こと……」
「うわぁ……泣く?」
「泣きそう……」

よしよしと頭を撫でられて、カイルは力いっぱいに堪えようとする。
顔を見られないように、がばりとマリオンに抱き付いた。

「死んだはずの先輩の姿が見えたのが最初だった……で、よく見たらそんな人がたくさんいるなって」
「その人たちの為に?」
「あー……どうだろう……自分のため?」
「自分のために?」
「良いことをしてるフリっていうか」
「ふりじゃないだろう」
「フリでしょ……誰にも分からないんだもん……カイルにも見えないでしょ? 私が嘘ついてるって思わないのが不思議……信用し過ぎ」
「マリオンは重要なこと言わない代わりに嘘も言わないからな」
「ふふ……カイルは本当に私のことよく見てる……好き過ぎ」
「好きならよく見るのは当たり前……」
「空っぽだってよく解ってる」
「空っぽ?」
「中身の無い話しかしないでしょう?」
「……そんなことない」
「中身が空だから」
「それは違う!!」

カイルは反射で否定したが、さっきとは別の何かが胸を締め付ける。
熱くて苦しいものではなく、冷んやりと鋭く刺さるもの。

マリオンの本心を初めて知った気がして、背中がぞくりと、肌が粟立つ。

「そんなふうに……自分のことを?」
「だってそうだから」
「そんな悲しいこと言わないでくれ」
「…………やっぱり、空っぽは悲しいこと?」
「空っぽなんかじゃないのに空っぽだと思わないでくれ!!」
「私が何も無いって思うのに……」
「そんなことない、俺がいる……アーノルドやビリーや、コリン、集落のみんな」
「それは外側の話……私の中にはなにも無い」
「お前の心の中にはいさせてもらえないのか?」
「それはもうカイルじゃなくなる」

分かるような気がするのが、腹立たしくてもどかしい。

自分の中にいるマリオンも、きっと目の前のマリオンとは違う、自分だけのマリオンなのだと思えてくる。

確かにそうかも知れない、でも。

「……じゃあ、俺も空っぽなのか?」
「……そんなことわからない……カイルの中身なんて見えないもの」
「林檎が好きだろ?」
「……何?」
「曇って暗くなるのも、寒くなって息が白くなるのも」
「カイル?」
「丸っこい硝子細工や、透明で光るもの」
「そんなこと言った?」
「見てれば分かる……俺と手を繋ぐのも」

祈るような気持ちで差し出したカイルの手の上に、マリオンの手が重なる。

ぎゅうと白くて薄い手を握る。

何百回と繋いだ手が、特別ひやりと感じる。

「暑いのが嫌い、長い説教も、構われ過ぎるのも……あと甘すぎるお菓子」
「よく知ってる」
「マリオンの中にはいっぱいあるじゃないか」
「それは、私を構成するものの小さなひとつひとつ。私を形作って外向きに認識させているもの」
「頭が賢すぎるとそんなふうになるのか? 俺には理解できないけど、マリオン」
「はい?」
「お前の好きや嫌いはどこから来てるんだ」
「おいしいとか、愉快とか不愉快とか……」
「それは心が決めてるんじゃないのか?」
「いいえ、身体が快適かどうかで……」
「そうしようとしてるのはお前の中身だろう? ばらばらにならないようにひとつひとつを繋ぎとめようとしてる」
「そうしないと人の形を留められないから」
「…………くそ! そう思わせてるのはお前の中身だってどうして……」
「カイルは何をそんなに必死に説得しようと……」
「なんでもかんでもあっさり捨てられるお前に腹が立つ!」
「そんなことない」
「今死んだとしても、ここに強い想いを残したりしないだろう?」
「ああ、それは……どうかな。死んでみないことには、なんとも」

ううと低音の唸りを吐き散らし、カイルはぎりと奥歯を噛みしめる。

涙が出るくらい悔しくて、泣きたいくらい悲しいのに、それをマリオンに見せたら認めたことになりそうで怖い。

「……いつから?」
「はい?」
「いつからそんなふうに考えてた」
「空っぽって?」
「そうだ」


うんと小さい頃には気付いていたとマリオンは淡々と言う。

三つか四つで自分の中の魔力量が尋常ではないと感じ、五つになる頃に周囲の大人にどうにかしないと大変なことになると訴えた。

周りは取り合わなかったが、しつこく言う内にマーレイ家に行くことが決まって、そこでジュリエットの書斎へ連れていかれた。
文字を教えられて本を読んで、心や魂や、目に見えないものがあるのだと知った。

「私にもあるかと考えたんだけど」
「あるだろう?」
「ある、って分からなかった……確かに在るとは言い切れなかった」
「ほんとに…………俺、賢くなくて良かった」
「カイルは賢いよ?」
「いいや……そんなことない……だから分かる」
「何が?」
「お前には分からなくても俺には分かる。マリオンにもちゃんとある。……在るのがわかる」
「…………ああ、びっくり。まさか他人から認識されるなんて」
「目には見えないけど、確かに在る。絶対だ」
「言い切った」
「言い切れる」
「本当?」
「本当だ」
「驚いた」
「俺もだ」

自分の顔を掌で拭うようにして、ひとつ息を吐いた。

新しい空気を思い切り吸い込みながら、マリオンを抱きしめる。

本当はどうか分からない。
マリオンが空だと思うなら、そうなんだろう。確かに在ると断言したのも、自分がそう思いたいからだ。

そして多分、賢いマリオンはそれもお見通しに違いない。

「俺が適当に言ってると思うか?」
「…………どうかな、真剣なのは確かかな」
「嘘を言っていると?」
「つまらない嘘は吐かないから」
「信じてくれるのか?」
「しょうがないなぁ……」
「マリオン……お前が好きだ」
「知ってる。何度も聞いたし」

だから一生騙し続けよう。
マリオンが空っぽだと感じなくなるまで。
何度でもしつこく食い下がって諦めない。

マリオンがもういいと折れて、中身がいっぱいだと、私が間違っていたと、認めるまで。

「ずっと一緒にいるぞ?」
「うーん……今も割とそう」
「俺はまだまだ足りないと思ってるぞ」
「ええええ?」
「出かける時は行き先を言え」
「ついてこようとしないなら」
「それは要相談だ」
「えええええ? めんどくさ」
「毎日突っかかられて、妃殿下から指輪をもらおうと思うのと、どっちが面倒だ?」
「…………ああ、それを思えばまぁ」
「俺に纏わり付かれるくらい、何でもないだろう?」
「それはそ……ちょっと待って」
「どうした?」




マリオンは短く詠唱すると、手のひらを自分の背後に向けた。

瞬間、目を覆いたくなるほどの閃光に包まれるが、カイルはそんな暇は無かった。

光はすぐに収束して、マリオンの手の中に吸い込まれるように消える。

「なんだ?!」
「探知された、うちの国の魔術師かな」
「…………巻き込まれるってこういう?」
「んん? これビクター?」
「ビクター?!」
「おーう。呼んだ?」





白い義手をふらふら振りながら、少し離れた場所に現れたのは黒いローブの魔術師だった。