「カイルはどうだ?」
「うお!」

後ろから声をかけられたジャレッドは、びくりと肩を揺らして勢いよく振り返る。

「……びっくりした、なんだお嬢かよ」

森の中で獣を追い、大きな鹿と地竜を捕まえて、それを捌いているのを遠巻きに見ているところだった。

「立派な鹿だな」
「あぁ追いかけっこしてたのを偶然見つけて、どっちも狩ったってよ」
「追いかけっこ?」
「食おうとしてたらしいぞ?」
「あの地竜は草食だろう?」
「ああ、大鹿の方が追いかけてたって」
「鹿も草食だろ」
「竜の尾が食われてたって……冬眠してるとこ襲ったんだな……怖いねぇ」

冬の間はどの生き物も食料を欠く。
雪の中では生きることに全てをかけなくてはならない。どちらも必死、有り得ない話ではないとマリオンは頷いた。


鹿はすでに逆さに吊るされて皮を剥がれ、内蔵も取り出されていた。
地竜は今まさに皮を剥がれている最中。
大きさは鹿よりひと回り小さいが、四苦八苦しながら三人がかりで皮を剥いでいた。
竜の周りではああでもない、こうでもないと、にぎやかな声がしている。

「背中の筋を切れと教えてやれ」
「ああいうのは実際やって、自分で工夫してみるのも大事だろ?」
「……まあな……で?」
「で?」
「カイルはどうだ?」
「ああ、その話……ご覧のとおり。あっという間に馴染んだわ〜。まじめなのに融通効くし……体力あるし、腕も立つし。王城の騎士だったって? 伊達じゃないね〜」
「……使えるんだな?」
「充分……おつりが出そう」
「そうか」
「……って、え? うっとり見つめなくていいの?……おーい、お嬢?」

マリオンは用件は済んだとばかりに、ジャレッドから話を聞くと、くるりと向きを変えて歩き出す。

すぐに転移門を開いて集落の真ん中から居なくなった。



それを最後に、マリオンは出かけたのか、五日経っても戻らなかった。



こうまで帰ってこないと、さすがのカイルにも我慢の限界がくる。

アーノルドやビリーは不在の方が長かったからか、マリオンの強さのせいか、あまり心配をしていないように見えた。

どこに出かけたのかも、いつものことなので知らないし、心当たりもないと言う。

「気がついた時にはもう居ないんだから、どうしようもないだろ」
「どうして何も言わずに出て行けるんだ、あいつは」
「誰も心配しないと思ってるからだな」
「のんきなもんだ、よく許してるな」
「言って聞くか?」
「…………あんたの育て方が悪いぞ」
「強いから心配するなとしか言わない。私の育て方に文句があるのか? いい娘に育ってるじゃないか」
「ものすごくひねくれてるぞ!」
「……それのどこが悪い」
「ものすごくかわいいけどな!!」

微笑ましく会話を聞いていたビリーが、ふと眉をしかめる。
腕を組んで指を口の前に立てると、もしかして、とこぼすように言った。

「このまましばらく帰らない気じゃ?」
「え?! 何か心当たりが?」
「いいえ、ただの勘だけど」
「何かあったのか?」
「上手く回りだしたから、もう大丈夫だなって言ってたから……」
「もう大丈夫? なにが?」
「……そう言えばお前のことを聞かれたな」
「俺のこと?」
「どうだと聞かれたから、良いんじゃないかと答えた」

カイル自身、この生活に慣れてきたのは感じていた。
無理せず、力まず、飾らずに過ごせるのは楽だし、周りの皆が受け入れてくれたので居心地が良い。
美しくごてごてした宝石箱のような王城が、自分に合っていないことは分かっていた。
職務だと諦めてずいぶん辛抱していたのだと、そこから離れて初めて気が付く。

「……もし、帰ってこなかったら? ふたりはそれでも構わないのか?」
「…………あれは役目を果たしたからな」
「用済みか?」
「そうじゃない……これ以上頼りにするのは心苦しいってことだ」
「ああ……そういう意味か……悪かった」
「ちなみにお前も居なくても構わないぞ?」
「言い方……」
「こちらの心配は要らない……追いたきゃ追えばいい」
「またかと分かっても平気なもんだな……慣れっておそろしい」
「どこに向かう気だ?」
「さあな……でもおかげで少し賢くなったぞ……コリンを借りてもいいか?」
「連れて行かれるのは困るな」
「それは無いから心配しないでくれ」


コリンに片道分の転移門を開いてもらう。
かなり遠方への門だったので、魔力が底をつきかけてふらふらしていた。

しばらく動けないと明日のことを心配しているコリンに、カイルは心を込めて礼を言う。

行ってらっしゃいと力無く笑うコリンを一度片腕でぎゅっと抱きしめてから、肩をばしばしと叩いて、カイルは転移門を潜った。



一面に見えるのは、茶色がかった丘の景色。自分の髪の色とよく似ている。
短く生える草の上、雪は無いが強い風に吹かれた草が、ざわざわと乾いた音を立てていた。

草の音に混じって聞こえる似たような音に、風に混ざる嗅いだことのない匂いに誘われる。目の前の小さな丘を登りきって、その向こう側を見た。

切り立つような岩場が足元にある。
人ひとりぶん下には、大小様々な白っぽい岩が転がっていた。
紺色の水に白い波が立ち、岩を洗うようにして、忙しく水が押したり引いたりしている。

視界いっぱいの水、カイルは生まれて初めての光景を目にする。

「……これ……は、海か?」

周囲に人の影を探すが、ゆるくでこぼこする茶色い丘が半分、後の半分は海。

しばらく崖に沿って歩くと、少し先に建物があるように見えたので、その場所に向かって足を早めた。

大きくはない石造りの建物が、崖のすぐそばにぽつりとある。

建物の近くまで来ると草の無い小さな道があり、その先の方に民家らしい建物もある。ずっと遠く、丘のでこぼこの向こう側にちらちらと屋根のようなものが見えた。


近寄るほど、その建物はもう使われていないのが伺えた。

屋根は半分崩れて、壁も無い箇所がある。
足元は石畳だがその隙間からは草が生え、建物の壁には蔦草が這っていた。
強い風に煽られて、蔦の葉の白っぽい裏側がこっちを向いている。

時間の経過で壊れたのではなく、建物は火事により脆くなったように伺えた。
屋根の骨組みは真っ黒で細くなり、石は煤けている。
古くはない証に崩れた石壁の角は縁がしっかりと残っていた。

建物の反対側に回り込むと、年老いた男がひとり、崩れた石壁の上に腰掛けて海を眺めている。

「…………失礼、聞きたいことがあるのだが」

突然現れたカイルに驚く様子もなく、老人は緩慢にカイルの方を見やって、ため息を吐くように頷いた。

「こちらで……人を見なかっただろうか、黒くて長い髪の、若い女性だ」

老人はカイルがこれから向かおうとした先を指さした。

「あっちの方を歩いてるのを見た……」
「そうか、ありがとう」

思ったより近いことが知れて、カイルは先を急ごうと足を向ける。
前を通り過ぎて数歩、ぴたりと止まって後ろを振り返った。

「ご老人……その、大丈夫か?」

失礼かとは思ったが、老人の疲れたような風情が心配になった。
簡素な服は擦り切れて汚れ、けして暖かいとは言えない場所でじっと座って海を眺めている。

「ああ……やることがあるうちは大丈夫なもんさ」
「これは失礼した……寒いから、身体を大事に」
「ありがとよ」

しわしわの手がふらりと振られて、あっちへ行けと追い払う仕草をする。
老人の様子と、この建物が気にはなるが、自分が必要とされていないのは感じたから、その場を離れていく。


カイルはぐるぐる巻きにしていた襟巻が、歩くたびに暑くなってきて首元から外した。
こちらは雪が降らない地域なのか、風は冷たいが身が切られるような寒さではない。
手に持つのも荷物になるので剣帯の右側に挟んでぶら下げるようにした。

荷物は何も持っていない。
腰に下がった長剣と、襟巻にしていた厚手の肩かけだけ。
何があるか判らないから、出来るだけ身軽にと考えた結果だ。

海から噴き上げてくる風は湿り気を帯びていて、それが寒さを和らげている気がした。



遠くに小さな人影を見つける。

ざわざわとする草と波音を聞きながら進むにつれ、遠く見覚えのある形がはっきりとしてきた。
全力で走って近寄ると、それに気が付いたマリオンは驚いたような顔で目を大きく瞬いている。

すぐ側まで駆けていき、向かい合うように前に立つ。大きく呼吸を数回、弾んでいたのを落ち着けた。
分かりやすく怒った顔でマリオンを見下ろす。

怒られる前の子どものようになるかと思えば、マリオンは常と変わらぬしれっとした表情だ。

「どうやってここが……ていうか、どうやって来たの?」
「……何度も目の前から急にいなくなられれば、嫌でも学ぶ」

カイルが足元を指差すと、マリオンは自分の爪先に視線を落とし、すぐ何かに気が付いたように足を後ろに上げて踵を見た。

蜘蛛の糸のように繊細な光の連なりがふわりと宙を舞う。

「体に付けたらすぐにバレるからな……靴に繋げておいた」
「いつの間にこんなことが……」
「先生が優秀なんだ……お前じゃないぞ」

マリオンがよく眠っていることが気になっていた。
転がそうが揺すろうが簡単に起きないこと。
起きても怠そうに、ぼんやりしていること。

カイルが日々魔力切れに近い状態を経験して、それに近いのではないかと気が付いた。

マリオンは術を繰って何かをしている。
昼間に出かける以外にも、夜中にもどこか遠くに行っているのではないか。
そう推理してからは早かった。

出かける場所すら教えてもらえないのに、思ったままに問いただして、マリオンが素直に答えてくれるはずはない。

それなら、とカイルは一計を案じる。

ジュリエットの書斎で、彼女の蔵書の中から使えそうな術を探す為に本を読み漁った。
人を探す術は、難解な上に魔力が足らなくてカイルには無理だった。

それならと探したのが、魔力を紐のように長く縒り合わせるもの。
本来はもっと太く、物を引いたり束ねたり、固定の為の丈夫な紐を作る術だが、マリオンがどこか遠くへ行っていることを考えて、細く切れない糸を作れないかと考えた。

カイルの魔力量でも持ち堪えられるほどの、どこまでも長く伸びる、繊細な魔力の糸。

こっそり付けるにも、功を奏する。
強い魔力が渦巻くようなマリオンには、その糸は微細で露見し難い。

毎晩のように、魔力切れを起こす手前まで使っていたのも良かった。
体は毎日それを補おうとして、結果、カイルの魔力量が増えることになる。
厳密に言えば量が増したのではないが。

魔力の入る器は生まれつき持っているもの。大きさは変わらないが、それを満たす早さが変わった。きっとそうだろうと優秀なもうひとりの先生が教えてくれた。
カイル自身もそう言われて腑に落ちるものがあった。

「ここはどこなんだ?」
「解ってて来たんじゃないの?」
「……いや、コリンに糸の先に門を作ってもらったからな」
「無茶をする……私ならそんな面倒なこと、頼まれてもしない」
「確かにふらふらしてたな……そんな大変なことだったのか?」
「行き先をきっちり指定しないなんて。距離も分からないのに、どれだけ魔力を消費するか」
「あぁ…………帰ったらうんとお礼をしないとな。で、ここはどこなんだ」

マリオン越しに遠くに目をやる。
半分は丘で、半分は海の景色。
マリオンもつられたように、遠くに視線を移した。

「カイルはここに来たかったんでしょ?」
「は? ここに?」
「どうしても来られなかったって」

ぐと胸の内側を握られたようになる。
急に苦しくなって、その部分に掌を当てて力強く押さえた。

どうしても行きたかった場所。

「……西の海岸…………戦線か……」
「……そう」
「ここが……」
「ここは外れ……今はもっと向こう」

マリオンは振り返って、遠くを指差した。

「なぜ、ここに?」




マリオンは口の端を持ち上げてにこりとする。




まだ終わってないからと言った声は、波音と風の音があっても、はっきりと聞こえた。