結局、あのあと彼は自室から出てこなかった。
 そのまま朝を迎え、一応、声をかけに彼の部屋へと赴いたのだけれど、部屋主は既に家を出たあとだったらしい。
 昨夜用意していた夕飯は手付かずだった。虫の居所でも悪かったのだろうか。色々と可能性を考えてみたけれど、どれもしっくりこなかったので思考を止めた。
 今日は有給を取っている。昨日注文した寝具は夕方に届くよう時間指定をしているので、午前中であらかたのことは済ませておきたいと思考より行動を優先した。

「よし、やり残しはないかな」

 まずはハウスキーパーさんへの言付け。夕飯を作りにはくるけどそれ以外ではもうここには戻ってこないということと、伝言役を頼んでしまうようになるということを伝えると、戸惑いながらも承諾してくれた。
 それから、住所変更と携帯の契約。主人の名義で持っていた携帯は電源を落として自室に置いてきた。あの中にある連絡先で必要なのは、職場のものと、職場で仲良くしてくれる同僚や上司のものぐらいだ。
 次に、家電と家具の買い出し。家電は、新生活応援セットなるものがあったので、それにした。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、炊飯器。単品で買うよりも割安だったと思う。満足だ。家具は、小さめの丸いテーブルとそれを置いても寝ころべるくらいのスペースがある大きめのラグを購入した。フローリングなので直座りはなるべく避けたかった。冷え性を侮ると本当に後悔する。

「思ってたよりふかふかだ」

 夕飯を作りに一度マンションへ行ったあと、アパートに急いで戻り、受け取った寝具を開封し、敷いて、寝転んでみる。お手頃価格だったから期待はしていなかったのだけれど、思ったより寝心地は悪くない。
 マンションの寝室にあったベッドのお値段を私は知らないけれど、自身の身体を委ねるものに関して主人は妥協しない人なので、いいものだとは思う。実際、毎晩熟睡できていたし。それと比べるようなことさえしなければ、安眠は約束されたようなものだろう。

「……よし……ん、じゃ……ぁ、」

 明日から心機一転、頑張るぞ!
 そんな意気込みを脳内で吐き出すのとほぼ同時に、とろりと思考が溶けて、まぶたが降りてきた。