はあ、はあ、と息が荒くなる。

心臓が破裂しそうな程、大きく、重く、そして多く脈を打つ。

真夏の陽射しに焼かれながら走った俺は、少し脱水症状が出ていた。

やや頭痛がする。

だが、汗、正確には、冷や汗、なのか。

が止まる気配は一向に無かった。

しかし、ここまで逃げれば花奈は追いつけやしないだろう。
 
そもそも、追ってすら来ていないかもしれない。

安堵のため息をつき、玄関のドアを開く。

僅かに額と鼻先に触れた冷気が心地よかった。

「ただいまー、真奈」

「……真奈?」

……おかしい。

返事が無い。

「真奈ー?」

いつもなら、おかえり、でなくても何か声を発するはずなのに。

ワイシャツが背中に張り付き、寒気を誘った。

「真奈、いるんだろ?返事してくれー」

家の中のあらゆるところを探し、美奈の部屋だったドアを開ける。

奇妙さに、体を震わせずにはいられなかった。

雪崩が起きていたはずの本棚が律儀に並んでいる。

稀にドアを押せば、たちまち埃で埋められた視界が、クリアだ。

ゆっくりと部屋全体を見回していると、艶のある黒髪の後ろ姿が見えた。

「真奈!いるんじゃないか!返事くらいしろよ」

半ば怒鳴りぎみに真奈にはなしかけるが、ぴくりとも動かない。
 
しっかりと、立っているのに、いや、根を張っているかのように、動かない。

「ま、真奈?どうしたんだよ。体調でも悪いのか?」

真奈からは、気配を無理矢理押し殺そうとしているような、微かなものしか感じることができなかった。 

真奈の一部が突然変異したような、真奈なのに、真奈らしくない感じだ。

その生物感を感じられない冷たさに、足が凍った。

少しの間大人しくしていた心臓が暴れだす。

それに合わせ、酸素の消費量が増え、無意識に酸素を求める。

音をたてたくなくても、荒い呼吸が俺の鼓膜を大きく振動させた。

真奈のオーラが無理矢理俺を引っ張り、固まった足をゆっくりと動かす。

「ど、とうしたんだよ。真奈らしくないぞ?」

真奈の肩を掌で包むと、温かみを感じ、息が漏れた。

――生きてる。

冷たい機械なんかじゃなかった。

安堵感から、全身の力みを抜いた。

瞬間、腹に衝撃が走り、瞬く間に全身へと広がった。

「うっ……ぐあっ……!」

脳にまで痺れが伝わり、もともとそこまではっきりしていなかった意識は掻き消されてしまった。

覚えていることがあるとすれば。

翻された黒髪の間から朧げに見た、狂気に満ちた笑みと、瞳の、研がれた刃物ののようにギラギラした輝きだった。