どうやって家にたどり着いたのか、全く思い出せない。
雪崩れる様に眠ってしまった様だ。
朝起きて昨夜の事が全部悪夢だったのではないかとさえ思えた。
しかし、お気に入りのシャツを着たまま眠っていた事実が紛れもなく夢ではなかったと痛感させる。
『ひどい顔だな』
鏡を見て驚いた。
一晩でこんな顔になるなんて。
その日から、何日間か部屋に篭ったままの日々が続いた。
もし、これが悪夢だったとしてもまだ中にいたかった。
自分自身を心と一緒に隔離して平穏をどうにか取り戻そうとしていた。
でも、いつまでもこのままではいられない。
久しぶりに大学に行く。
友達は心配してくれていた。
『返信もしてなかったからな』
説明はしなかったが、精一杯笑って見せた。
話さない俺にそれ以上聞いてくるヤツはいなかった。
大学にいる時は細心の注意を払った。
叶実先輩に会う勇気はまだない。
ただ、何日経っても叶実先輩に会う事はなかった。
また、いつもの日常が戻ってくる。
後回しにしていた事に触れなければならないようだ。
もう、心の準備はできた。
俺は達也に『会って話そう』と伝えた。
彼も何の事かはわかっているのだろう。
『わかった』
とだけ返ってきた。
その日、達也は俺のアパートに来た。
なぜだか、俺は部屋を掃除して待っていた。
達也が持ってきた、俺の好きなペットボトルに入ったお茶を飲みながら、なんて切り出したらいいのか迷っていた。
「俺、悪いと思ってるよ」
そう、達也が言った。
「お前が初めて自分から好きになった人だから、どうしても会いたかった。どんな人なのか確かめたかったんだ」
叶実先輩の話をした時、達也は会いたがった。
渋る俺に食い下がってきたくらいだ。
達也がそこまでした事は今までに1度もなかった。
どこかで、達也に自慢したかった事もあって「先輩に聞いてみるよ」と返事した。
達也はとても嬉しそうだった。
「美結。覚えてるか?」
達也の唐突な質問に何が言いたいのかわからなかった。
「高校2年のバレンタインデー、美結にお願いされてお前にチョコレートを代わりに渡しただろう?最初、美結に呼び出された時、俺の事が好きなんだと思って嬉しかったんだ。俺は美結が好きだった」
『!!!』
「お前とはクラスが違かったけど美結と俺は席も前後で、よく話してた。よく笑う所がかわいかったんだ。だから、勘違いしたよ。美結も俺が好きなんだろうって。でも、蓋を開けたら、またお前の事が好きだって。冗談じゃないよな」
達也は物憂げにハハハと笑った。
「なんで言わなかったんだよ」
「お前、恋愛とか興味なかったじゃん。なのに、美結と付き合いだした」
俺はあの当時、告白されて付き合う事が時々あった。
でも、相手に興味を持てた事は1度もなかった。
「最初は、嬉しそうにお前の事を話す美結を見るのが辛かったよ。でも、幸せそうだった。それが少しすると、笑わなくなっていった。お前の気持ちがわからないって言って悲しんでいたよ。そんな美結を見るのも辛かった」
あの時の俺は、陸上第一で、彼女の気持ちなんて考えた事もなかった。
「1度、俺がお前に『美結の事、本当に好きなのか?』って聞いた事あったろ?お前は『さあな』ってどうでもよさそうに答えたんだ。俺は本気で後悔したよ。なんでもっと早く美結に告白しなかったんだろうって。でもそれ以上に、美結の気持ちを弄んでいるお前が許せなかった」
俺は俯いた。まさかそんなに二人を傷つけていたなんて。
「美結の明るさは日に日に陰りが出てきて、笑顔さえ無理しているのが見え見えだったよ。俺が好きになった彼女は、お前によって変わってしまった。それから少しして、お前らが別れたって知ったけど、それと同時に美結から避けられるようになったんだ」
「えっ?なんで?」
「お前に関わるものから逃げたかったんだろう」
何も知らなかった..。
しかし無知ゆえ、若さゆえの残酷な行為を知らなかったでは許されないだろう。
「だから、叶実さんに会ってみたかった。お前をここまで変えた人はどんな人なのか知りたかったんだ」
俺の表情を見て達也が続ける
「復讐とかじゃないよ。捉えどころのない所に興味は湧いたけど、お前の好きな人を取ろうなんて思ってなかった。居酒屋でお前が酔って眠っちゃった時、叶実さんが連絡先交換しようって言ってきたんだ」
それからは、想像できた。
新しいオモチャを手に入れた叶実先輩は俺に会わなかった何週間か達也で遊んでいたのだろう。
「そうか...」
それ以上何も言えなかった。
「さっきも言ったけど、悪いと思ってる。お前に許してもらおうなんて思っていない。高2のあの時から多分、俺はひきづっていたんだ。だから、お前とはもう会わないよ」
そう言うと、達也は立ち上がり部屋から出て行った。
好きな人も親友も同時になくした。
自業自得だったんだろう。
達也が持ってきた、俺の好きなお茶のペットボトルを眺めた。
苦味だけが口の中に広がっていた。
完
