撮影の初日とあって、スタッフも忙しく動き回っている。
 出入りはあるものの、控室には誰もいなかった。2人でコーヒーや差し入れの菓子をつまみながら、澁澤の作品について大いに盛り上がった。そのために、剣杜は、彼の小説を買い込みずっと読み漁っていたのだ。最近、読んだ小説なのでしっかり覚えているが、発売したのは大分前の作品なので、何回も読み直していると話すと、澁澤はとても嬉しそうに制作秘話や設定などを語ってくれる。が、剣杜には全く興味のない事で、右から左へと聞き流していた。けれど、もちろん表情はモデルで鍛えた作り笑顔だ。澁澤のテンションも高くなっていくのがわかった。ニコニコとしながらも脳内ではどう誘うか、出来るだけ自然に。そんな事を考えていると、澁澤が何かを含んだにやりとした笑みを浮かべた。


 「椛さん。今度私が作った設定などをまとめているものを見せましょうか?」
 「いいんですか!?ぜひ見たいです」
 「わかりました。それでは、どこかでお酒など飲みながらどうですか?これが、僕の連絡先です」
 「ありがとうございます!嬉しいです。憧れの先生と一緒に飲みにもいけて、大好きな作品の秘話まで。楽しみにしてますね!」

 元から剣杜を誘うつもりだったのだろうか。彼が渡してきた名刺を受け取ると、裏にメールアドレスが書かれていた。どうやら、これがオフ用の連絡先なのだろう。
 剣杜は「かかった」とニヤけそうになる気持ちを抑え込み、感動で涙目になる姿を見せて何度も感謝の気持ちを伝えた。


 その後、すぐに澁澤は他のスタッフに呼ばれて、剣杜の元から去っていった。その時も笑みを浮かべて、剣杜から離れるのを少し寂しそうにしていた。
 完全に剣杜が気になり始めたようだ。全面的に好意を表に出して近寄ってきているのだから、澁澤も警戒する理由などないのだろう。


 「うまくいきそうだな」


 剣杜は一人きりになった控室でそう呟き、映画撮影の現場から足早に去った。
 もうこの現場に用事はない。目的は達成したのだから。