少し寒い春の夜。
 それは、あの約束を交わした日と似ていた。

 3人で火を見つめ、ほんのり赤くなる自分たちの顔をお互いに見つめながら、「忘れる」と約束を交わしたあの学生の頃の時間。
 あの時に、「そんなのは無理だ」と「俺達が小説を取り戻してやる」と言えばよかったのだろうか。
 そうすれば、少しは虹雫は安心したのか。それとも、忘れられる苦しんでしまったのか。今となっては何もわからない。

 けれど、過去を悔やんでも仕方がない。
 もう取り戻す事は出来ないのだから。

 完全に火が消えたのを確認すると、その燃えカスとなった灰を剣杜は踏み、その場から立ち去った。
 約束はもう終わりで捨てたものだと、その時に明確になった。







   ★★★




 澁澤の脳内は焦りと怒りで支配されていた。



 自分の本を出した出版社に用事があり、いつものようにオフィスへと顔を出す。
 その瞬間に何かが違う、とぴりついた空気を感じた。
 自分が「お世話になっています」と声を掛けた瞬間、一斉にスタッフたちがこちらを向いた。いつもならば「こんんにちは」と返事をしてくれる声が疎らに聞こえて、明るさを感じられた。
 が、今日はどうだろう。一瞬の間と、冷たい視線がこちらに向けられた。そして挨拶の言葉もいつもより少なく感じられ、明るさなど程遠い、一定の音程の挨拶。
 昔と同じだった。売れない作家時代の時と。


 「澁澤先生ッ!」