レイラは数か月ぶりにラディスの居城を従者のロビィと歩いていた。

 ……戻ってきてしまった。

 ラディスの体のことが心配だったし、レイラのいる世界まできたラディスも、なんだか様子もおかしかったので、放っておけなかったのだ。

「いやあ、本当に帰ってきてくれてよかったよ! ラディス様ってば、もう、面白いくらい調子悪くて」

 レイラはため息をつく。

 面白いくらい調子悪いというのが、どのような状況かはわからなかったが、やはりレイラの感じた違和感は、間違っていたかったようだ。

 後でラディスの話を聞かないと。

 言葉通り、マッサージの道具を使う約束を果たしてもらうためだけに、ラディスがレイラを迎えに来たわけではない……のだと思いたい。

 ラディスは言葉が少ない。何を考えているのか、時々わからない。

 つまり……決定的な言葉を言ってもらっていないから、恋愛初心者のレイラには確証が持てないのだ。

 恋愛とは程遠い生活を送ってきたのだから、これは仕方のないことだ。と自分に言い聞かせる。

 これで本当に体の調子が悪くて、マッサージされたいだけで呼び戻されたのだとしたら、めちゃくちゃ恥ずかしい勘違いをしている女である。

 レイラはもう一度ため息をついた。

 ラディスの体が心配だとか、様子がおかしいから気になったとか、いくら言い訳をしても、わかっている。

 この人を一人にしたらダメだと思った段階で、もう手遅れなのだ。

 しかも、仕事を辞めてマンションを解約して、異世界まで戻ってきてしまったわけだ。

「ダメ男に引っかかる典型的なアレ?」

 レイラは頭をかかえた。

 ラディスは帰って早々、シルファに連れられて執務室に言ってしまったので、ここにはロビィしかいない。

 城を開けた数週間で仕事がたまってしまったらしい。

 まだ引継ぎの途中らしいが、実は最近、部下に仕事を振り分けられるような組織へと刷新されたという。しばらくすれば、ラディスももう少し時間に余裕ができるらしい。

 ラディスと再会してから数週間、気づいたときにはレイラの爪は伸びなくなっていた。
 
 老化が再び止まったのだろう。

 もしラディスと同じ長い年月を生きることができるとすれば、レイラにはやりたいことがあった。

 各地に癒しの力が宿った池のようなものを作ることができれば、瘴気が大地に満ちる前に、毎日少しずつ浄化できるのではないかと思ったのだ。

 そうすれば、異世界から聖女が召喚されることも、しばらくはなくなるだろう。

 考え事をしていると、いつの間にかレイラも来たことがない城の最深部に到着していた。

「ここから先が全部、新しく改築した新居だよ」

 レイラが過ごしていた城の区画より、さらに奥の渡り廊下を歩きながらロビィは言った。

「そこまでしてくれなくても、前の部屋でよかったのに」

「いや、あの部屋が新居ってわけにはいかないでしょ」

「そう?」

 でも、一人で住むには、広すぎやしないだろうか。

 部屋の大きさもベッドまでも今までの二倍以上ある気がする。

 日本の狭小住宅で生まれ育ったレイラの感覚とは違うのだろう。

 窓から見える庭には、色とりどりの花が咲き乱れている。

 以前は庭に花など植えられていなかったはずだ。

「花……植えたの?」

「レイラが住むならあった方がいいだろうって。花だけじゃなくて、使用人も人間で魔族の元で働いていいって人間を厳選してそろえたから」

「え、そんなことまでしてくれたの?」

「そりゃ、ラディス様も気合入ってるから」

 いろいろとレイラのことを考えてくれていたらしい。

 庭をよく見ると、少し離れた場所に金色の細い柱のようなものが何本も見えた。

「あの、金色の細い柱は何?」

 柱を目で追って、その金の柱が空でひとまとまりになっており、この辺り一帯を覆っている。この光景はどこかで見たことがある。

 そう、鳥かごだ。

「あれ? この区画を守る結界だってさ。大きい鳥かごみたいだよね」

 鳥かごが大きくなった!?

 聞けば、レイラの身を守るための様々な仕掛けが、この辺りにはあるらしい。

 驚いているうちにレイラはお針子の待機していた部屋に案内され、採寸される。

 どんな服が欲しいか希望を聞いてもらえたので、膝丈や長い服も用意してもらう。

 やっと、安心して着られる服が手に入ったことに、レイラは舞い上がってしまい、大体のことが決まるころには、ぐったりと疲れていた。

 最後のドレスの採寸にさしかかったころ、部屋にラディスが入ってくる。

「間に合ったようだな」

「ラディス。仕事は?」

「問題ない」

 レイラはラディスの「問題ない」という言葉をあまり信用していない。

 レイラは無理やりラディスを休憩に巻き込んでからドレスの採寸を再開した。

 ラディスは迷いなく、生地や色を選んでくれる。

 レイラは疲れていたのと、ドレスに関して知識を持っていないので、まかせっきりだった。

「白い色が、象牙色の肌に映えますわ」

 レイラは着せられた豪奢な純白のドレスを見て、疲れた頭で結婚式みたいだなと思っていた。

 そう……思っていたのが、数週間前の話。

 今、レイラは、そのドレスを来て、赤い絨毯の上を歩いている。

 ??? な、ぜ??

 レイラは混乱する頭で、契約書を前に固まっていた。

 ここにサインをすれば結婚が成立するというのだ。

 しかも、人間の形式にのっとって、わざわざこの場を用意してくれたのだという。

「どうした?」

 隣にいるラディスを見ると、白を基調とした煌びやかな礼服が似合いすぎて、物語から飛び出してきた王子様のようにも見えた。
 
 ラディスは見たことのないような幸せそうな顔で微笑している。

 イケメンは何を着ても似合うな。

 レイラはあまりの美しさに、目をやられたような気持になって、しょぼしょぼと瞬きをした。

 この状況で、今さら、聞けない。

 どうして結婚をすることになったかなんて。

 ところがレイラの疑問はその後、シルファが茶化すようにラディスに聞いた質問によって解決した。

「プロポーズの言葉は何だったんです?」

「彼女の住む国の風習にのっとって、毎朝シチューを作って欲しいと頼み、彼女はいいと答えてくれた。日本で古来から使われている求婚の言葉らしい」

 ラディスは少し得意げな顔をしていった。

 それ……味噌汁じゃない? というか、いつの時代のプロポーズだ。

 変な日本の知識は、おそらくカヨから聞いたのだろう。

 そういえば、あの狭いレイラのアパートで真剣な顔をしたラディスがシチューを作って欲しいと言っていたのを思い出す。

 レイラはいいよと気軽に答えたのだ。

「あれかぁ……」

 レイラが内心頭をかかえ、恥ずかしさに悶絶する。

 どおりで新居が広いはずである。あそこは結婚したラディスとレイラが住むために用意された新居だったのだ。

 ということはだ、好きとか、愛しているとか言葉にしてくれなくても、やはりラディスはレイラを花嫁とするために、迎えに来てくれたのだ。

 レイラは少し肩の力を抜いて、婚礼の契約書にサインをした。

 こうして半ば流されるようにではあったが、レイラはラディスと結婚したのである。

 その夜、初夜のために用意された、かなりきわどい寝衣に着替えさせられ、ベッドの上で向かい合わせになったまま、レイラとラディスは硬直していた。

 今までのようにマッサージをして、一緒に寝るというわけにはいかないだろう。

 レイラが所在なさげにそわそわしていると、ラディスが右腕を出した。

「?」

「……いつも通りにして、落ち着くべきだと思ったのだが」

 レイラはうんうんとうなずいて、ラディスの提案に乗ることにした。

 持ち込んでいたアロマオイルとアーモンドオイルを混ぜると、ラディスの腕を取った。

 ふわりと花の香りがする。

 エキゾチックな甘い香りだ。

 イランイランの香りは官能の香り、インドネシアなどでは初夜のベッドにイランイランの花びらを散らしたりするらしい。

 レイラはこの香りを選んだ自分が、浮かれていたことに気づいて顔を赤くする。

「手が、こわばってる……仕事のし過ぎだね」

 以前のように指先までマッサージをしていると、次第に落ち着いてくる。

 レイラはラディスが、じっと自分を見ていることに気づいた。

「すまない……」

「?」

「会いたくなってしまって」

 レイラはぴたりと動きを止めた。

「わ、私も……」

 顔が熱くなってくる。

 ここら辺がふたりの限界だ。

 レイラは小さく笑った。

 ラディスは甘い言葉をささやく王子様じゃないし、レイラは純粋で無邪気に愛の言葉を求める少女ではない。

 言葉よりも、ラディスがレイラのためにしてくれた数々の行動のほうが、ラディスの気持ちを雄弁に語ってくれる。

 レイラもラディスのためにできることをしていこう。

 もちろん、言葉にすることも今後の課題には上げておく。

 考え事をしていたレイラは、突然腕を引っ張られラディスの腕の中に勢いよく倒れこんだ。

 アロマオイルで滑りやすくなっていたので、勢いがついてしまった。

「いつもベッドでは鳴かされてばかりだから、今度は私の番だな」

 ラディスがどこか楽しそうに言う。

 これは、まずいかもしれない。

 レイラは顔を赤くしたり青くしたりしながら、今までの仕返しをされる覚悟をした。

 
 
 聖女が魔王の元に嫁いで以降、ロ・メディ聖教会は、聖女を異世界から召喚することはなかった。

 聖女に関する資料が原因不明の火事ですべて焼失した際に、召喚術も失われたとされるが、真相は定かではない。

 確かなことは、聖女と魔王の子孫たちによって、今もなお、瘴気はひそやかに浄化され続けているということだけだ。