中学1年生入学式───
「これにて、第98回入学式を終わります」
一気に緊張が解け、新入生や保護者達は席をたち始めた。
「新入生は教室に行くから、並んでー」
担任と発表された水口 景がマイク越しにダルそうな声を上げる。
水口 景は、小学3年の頃に担任だった水口 色(しき)の兄だという。
(そういえば色って独特な名前してるな。)
成美も思ったことは何度もあった。
だが、教室で水口が話した時にそれは暴かれた。
「はーい、今日から君らの担任務める水口 景でーす」
黒板に名前を書いて話した。
(字…うまっ!)
「担当教科国語ーちなみに僕の弟知ってる人ー」
手を挙げて辺りを見回した。
成美や香織、南小の生徒は全員手を挙げた。
他校から来た人達は首を傾げている。
「僕の弟は水口 色ー。前南小で教師やってたんだよねー。」
突然クラスの輪に馴染めそうな男子が手を挙げ、「なんで色って名前なんですかー」と口を開いた。
「僕の名前が景だから。」
簡潔に述べたせいで理解出来ていない人達が半数だった。
「はぁー…。僕が景で弟は色。僕の親は景色見るのが好きだったんだ。だから2人で1つ…みたいな感じで付けたらしいよー」
全員納得したように手を叩いていた。
確かに、面白い名前を付けるものだ。
「まぁてことで、これからよろしくーなんでも聞けよー」
「今日は帰宅」と言ってさっさと教室を後にした。
新入生は鞄から荷物を出したりしていない為、何もしないでそのまま下校ということになった。
明日からが大変になりそうだった。
♥
成美は母と並び、グラウンドが見える花壇で歩いていた。
「成美ー!」
香織の声が聞こえ、成美はグラウンドを見た。
「香織!どこにいるかと思った」
手を振った後、母に尋ねた。
「行ってもいい?」
母が頷いたのを確認し、香織の元へ走っていった。
南小と比べてグンっと人数が増えている為香織とはクラスが別だった。
入学式も離れていて香織を見ることはなかった。
「やっと会えたー」
「丁度見かけたから声かけたんだ」
そう言ってはしゃぐ香織はセーラー服がとてもよく似合っていた。
「香織、セーラー可愛い…!」
風に吹かれている制服を見ながら笑う。
「そう?スカートのウエストこれから心配だなぁ」
「香織は細いじゃん!」
長い休みを挟んだ為、久しぶりの活気を取り戻した気がする。
香織は1組、成美は2組の為、体育等も合同で行うことが出来るだろう。
「でも同じクラスが良かったねぇ」
「休み時間欠かさず香織のクラス行くから!安心して」
拳を胸に当てて「ふんっ」と胸を張った。
「ははっ、頼り甲斐があるねぇ」
「ママー、カメラー」
事前に言っておき、スマートフォンを持ってきてもらった。
「はいはい、充電しといたから」
「さっすが!ありがとう!」
母の手からスマートフォンを受け取り、香織の元へ戻る。
「記念に撮ろ!」
驚いたような様子を浮かべていたが、暫くしてから「うん」と笑った。
影を撮ったり、並んでジャンプした姿を撮ってもらったり、2人でハートを作ったり…
「久しぶりに写真撮ったねー」
会うのも久しぶりで、話すことすら少なかった。
携帯を買って貰ったのも、成美はつい最近だった。
「あ、メアド交換しないとっ」
「そうだね!」
香織は慣れた手つきで画面を操作し始めた。
「えっと…どこ押すの?」
誰とも交換したことがない成美は、アプリの場所も分かっていない。
「あははっ、右にスライドしてみて」
言われた通りにすると、緑色のアイコンがあった。
中には吹き出しのようなものがある。
「あっ、これ?」
「そうそう!それ押して…」
優しい口調で丁寧に教えられて、成美でも簡単にやることが出来た。
「はいっ!これで交換完了!」
「へぇ〜便利!」
新しい人生が開いた気がして嬉しくなった。
「…しょうちゃんも携帯持ってるかな」
少し暗くなった成美を見て、香織はわざと明るく言った。
「そ、そうだね!小三はさすがに持ってないよね!あはは!連絡出来ればね!」
その声に成美も、苦笑いをした。
「連絡出来るよ」
……え?
2人とも呆然と立ち尽くしている。
声を発したのは香織の母だった。
【ありさ】という名前で、成美はあーちゃんと呼んでいる。
「…えっ!?あーちゃん、電話繋がってんの!?」
「翔くん本人じゃなくて…」
「あぁ、翔のお母さんと繋がってるのね」
理解したように香織が頷いた。
「えぇっ!あーちゃん!もっと早く言ってよ!!」
ありさを揺さぶりながら成美はショックを受けている。
「だって言われなかったし…」
苦笑いしながら困っているありさを見て、
「今、連絡できるの?」
と香織が言った。
「Of course!もちろんできるよ」
「はいはい、アメリカのお姉さん、早く通話かけてくれない?」
ありさは4年間アメリカに住んでいた。
英語が出てくるのはいつものことだ。
それに慣れている成美は、ありさをどんどん急かした。
「わかったわかった!えっと…」
ありさがタッチしている画面を覗くと、【ら行】をスライドしている。
(電話ってこういう並びになってるんだ…)
見知らぬ名前を横流しにしながらそんなことを思っていると、【る】まで辿り着いた。
【る】の欄には1つのみ、【流川 咲】と記されている。
「咲…?さく?って名前?」
「さき、よ!全く…」
呆れながらもありさは名前を押した。
コールの音が鳴り、途中で途絶えた。
ありさが【スピーカー】と記されているボタンを押すと、「もしもし」という声が聞こえた。
「久しぶり、咲ちゃん!」
『あーちゃん久しぶり〜!どしたの急に』
ふたりの会話を遮って成美が喋った。
「咲さーん!!」
『…えっと?』
困ったような声が携帯越しに聞こえる。
「あ、私、成美です!しょうちゃんの友達!」
『あぁ!成美ちゃん!おっきくなったからわかんないよー』
笑う声が聞こえ、成美も自然と笑顔になった。
「あのね、今しょうちゃん居る?」
『あら、翔?ごめんなさい、今は学校なの。入学式があってね。』
「そっか…」
ガッカリした成美を遮り、香織も声を出した。
「じゃあうちらと一緒だね!咲さーん、私香織!」
『香織ちゃんも居るの?やだ〜勢揃いじゃない!』
そんな会話をしているうちに成美は疑問を掴んだ。
「あれ、咲さんは入学式行かないの?」
成美や、香織の母達もこの場にいるのは、入学式を終えたからである。
翔が入学式に行っているのであれば、咲は…
『あぁ、入学式は午前に終わっているのよ。翔達は教室で色々と学んでいるの。保護者はもう帰宅しているわ。』
「あぁ〜」
全員が納得した。
その後は世間話をして、電話を切った。
翔には好きな子が出来たのだろうか。
彼女を作ったのだろうか。
成美よりも可愛くて優しくて大人しい子が現れているのだろうか。
中学校1年間はそんなことしか頭になかった。
♥
ある火曜日の朝。
成美は急いで学校へ向かった。
(今日日直だった…!やばいやばい!)
大股で走り、少しでも時間短縮を目指していた。
道端にある時計を見ると、時刻は7時半を指している。
普通の生徒が入れる時間は7時50分だ。
(これなら間に合う…)
成美は息を整え、早歩きをしながら空を見上げた。
「翔ちゃんも、同じ空見てるかなぁ…」
口に出した後、「まだ寝てるかもね」と笑った。
翔のことを思うと何故か胸が痛くなる。
生まれてから、小学三年生までの短い期間を一緒に過ごしただけだ。
なのに、こんなにも胸が苦しくなるのはなんだろう。
好きかもしれない、というのは薄々分かっているが、やはり相手と会っていないとなると…
「完全な【好き】はわかんないんだよ…」
ぽつりと呟いた途端に視界がぼやけた。
成美の目は潤み、1滴、また1滴、と涙が零れてしまった。
翔にも好きな人がいる。
そう、勝手な思い込みをしてしまう。
自分ではダメと分かっているのに…
(頭を離れないんだよ…!)
いつの間にか空を見上げていたはずの視線は、地面のコンクリートを見ていた。
「俯いてちゃダメ」
声に出して自分に言い聞かせ、時間に間に合うように、また歩き出した。
学校に着いた成美は、正面玄関をノックし水口に声をかけた。
「あぁ、日直?時間より早いじゃん。まぁ、入って入ってー」
成美を中に入れ、水口はドアの鍵を閉めた。
教室までは水口と向かった。
「日直の仕事どっかに書いたっけなぁ」
頭をガシガシとかじりながら階段を登った。
「日直日誌が確かこの辺にぃ…」
ゴソゴソと机を探っている水口を他所に、成美は窓を開けた。
カーテンをめくると、学校に向かう香織が居た。
後ろには、香織のクラスメイト鈴木がいる。
鈴木は小学生でスカウトされたことがあるようで、断ったものの自分に自信を持っているタイプの男だ。
だが、まだ普通の生徒が入る時間にはまだ早い。
もしかしたら日直なのだろうか?
「水口先生、1組って日直は2人ですか?」
窓に目を向けたまま、成美は水口に尋ねた。
「んー?あぁ、確かそうだったね。」
腕を組んで水口が立ち上がると、「あった!」と明るい声が聞こえた。
「ほれ、日直日誌。じゃあ、後よろしくな」
そう言い残して水口は去っていった。
「あ、ありがとうございます」
ペコッと頭を下げてもう一度窓を見ると、もう香織達はいなかった。
「あ、あれぇ…?」
日直日誌を書きながら目を辿らせていった。
「ん、これなんて書くの…」
チェックをするのか字を書くのか。
そもそも漢字の読み方すらも分からない。
「先生に聞かないとなぁ…」
成美は日直日誌を手に教室を出た。
1組の前を通ると、香織の困惑した声が聞こえてきた。
「鈴木くん、と、とりあえず窓開けようよ…」
「そんなん後ででもいいって。それよりさぁ、香織ちゃんって綺麗な顔してるよね」
ドアの隙間から覗くと、黒板に背を向け、遠慮するように胸の前で手を開く香織が居た。
鈴木は香織の前に立ち、長い髪に触れている。
「えっ…、香織…?」
「長い髪の毛綺麗だね。俺さ、ロングが好みなんだよー」
香織は「だから何よ」みたいな顔をしている。
「鈴木くん、悪いんだけど私鈴木くんに興味ないから。」
香織がキッパリと告げても、鈴木はまだ言い寄ってくる。
「入学式から香織ちゃんのこと気になってたんだよねー」
「私は気になってない。」
触れようとした手を素早く払い除けた。
「ちょっとだけ時間くれればいいって。俺スカウトされたことあるんだぜ?金持ちになれちゃうかもよ?」
「だから何?そのスカウト偽物なんじゃなくってよ?」
ふんっとそっぽを向いた。
鈴木も、さっきまでの作り笑いが消え、そろそろ苛立ちを持ったようだ。
「偽物のスカウトが俺に来ると思うか?俺には実力とこの顔があるんだよ。俺といた方が周りのヤツらは皆得なんだよ」
鈴木はまた香織を黒板に押し付けた。
さっきまでとは激しい変わりようと、鋭い目に香織も何も言えなくなってしまった。
(どうしよう、行った方がいいのかな…でも何かされたら…)
成美が考えていると、階段から水口が登ってきた。
「成美?何してる。」
水口が険しい顔で成美に近寄った。
「か、香織が…」
水口が教室を覗いた時には、鈴木が殴りにかかろうとしていた。
多分、香織が震えながらも挑発するような事を言ったのかもしれない。
「…」
水口は立ち上がり、ドアを強く開けた。
ビクッと2人は振り返り、鈴木の顔は強ばっている。
「てめぇ何してんだ。」
いつもより低い声を出した水口は、まるで映画の救世主のように見えた。
香織の前に立ちはだかり、腕を組んだ。
「ちょっと香織ちゃんに声をかけただけっすよ。」
冷や汗をかきながら、声を出した鈴木は、水口に圧倒され今にも逃げ出しそうな小動物だ。
(さっきとはまるで違う…)
「殴ろうとしてんの見たんだけど。香織がなんかしたのか?なんもしてねぇよな。人を殴るなんて許されない行為だ。ふざけんじゃねぇよ。」
鈴木の腕を強く掴み、睨みつけた。
スーツの上着がヒラっと舞い、まるでマントのように見えた。
香織の口が「ヒーロー…」と動いた。
成美はそれを見て苦笑しているが、水口は真剣だった。
「俺はな、生徒を大切にしてんだよ。だから教師やってんだ。その生徒を傷つけんな。」
鈴木の腕を振り払い、今度は香織の手を掴んだ。
香織は頬を赤らめていた。
(水口先生、かっこいいもんね。)
他クラスでも結構話題になっていると噂で聞いたことがある。
「香織、怪我は?」
水口が尋ねるも、香織は見惚れている。
「えっと…?」
首を傾げると、香織は意識を戻し、頭をバッと下げた。
「ありがとうございますっ!」
「え、あ、うん、いいって。で、質問に答えて、欲しいんだけど…」
水口がわたわたして香織の頭をあげさせた。
「え、な、なんでしたっけ。」
ぽかんとしている香織に「怪我、大丈夫?」ともう一度尋ねた。
「あ、大丈夫です。でも、ちょっと腕が痛むかな…」
成美が遠くから見てもわかる青アザができていた。
「え、これ大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。私、青アザ出来やすいし、ちょっと掴まれただけだから…」
(そういえば、鈴木くん握力はクラス1だったな…)
皆とは有り得ないほどの差を広げ、圧倒的頂点に立った。
そんな成美をよそに、「何その体質。」と水口は呆れている。
いつもは真面目な香織が、こんなにマイペースになることは見たことがない。
「ちょっと保健室行くか。」
「え、だ、大丈夫です!」
「いやいや、ダメダメ。アイツ危ないから俺着いてくし。安心してよ」
「ひ、一人で行けます!」
「鈴木出てきたらどうすんだよ。早く」
香織の背中を手で押し、教室から出てく姿を成美は静かに見守っていた。
気付いたことは、香織の耳がずっと赤かったこと───。

