御手洗くんと恋のおはなし

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 満がバーのお手伝いをするのは、夜十時までだ。お店の時計を見ると十分前。そろそろ上がりだな、という頃合いに百合は化粧室に向かった。
 カウンターに残されたナベケンに、満は、ふと口を開く。

「ひとつ聞いてもいいですか」
「ん、何?」
「商談のコーヒーの失敗って、何か理由があったんですか?」
「え?」

 目を見開いたナベケンの前で、満は思っていたことを口にする。

「いや、渡辺さんってどちらかというと、しっかりして気が回る方だかららしくないなって、思いまして。百合さんなら納得したんですけど」
「あはは、それ赤井さんには言っちゃダメだよ」

 ナベケンは人の良さそうな笑みを浮かべて、手元のグラスを煽った。そしてふと「まぁ、君にならいいか」とつぶやいた。

「君が思うほどに僕は大人じゃないってことだ」
「というと?」
「取引先の担当、けっこうなセクハラ野郎でね。以前からいけ好かなかったんだ」
「……それは、つまり」

 不意に悪戯っ子のような目をしたナベケンは、ニッと口端を上げた。

「赤井さんが席を立ってるときにも彼女に対する下世話な発言をしたもんで──つい、ね」

 なんとまあ、先輩慕う可愛い後輩の仮面下には、無垢に短気な男の顔が隠れていた。
 良い風に言えば男気ある、しかし、社会人としてはどこか幼い仕返しだ。

「……やりますね、渡辺さん」
「これは赤井さんには秘密。ね」

 人差し指を口に当てて、ナベケンはにこりと笑う。しばらくして、先ほどよりも足取りが少ししっかりした百合が戻ってきた。

「よし! ナベケン、帰るよ」
「あ、赤井さん復活しましたね」
「当たり前よ、来週からまた頑張らなきゃいけないんだから! 誰かさんのせいで」
「はい、僕も頑張ります」

 二人のやり取りを見て、満は何となくナベケンは穴埋めできる取引先をすでに確保しているんじゃないかな、なんて憶測してしまう。こういう男は、侮れないのだ。
 お詫びということで会計はナベケンが済まし、二人は出口へ足を向けた。

「後輩のおごりじゃ顔が立たないわ。次は私がおごるからね!」
「ありがとうございます、赤井さん」

 ちゃっかり次の約束を百合から引き出しているナベケンは、やはり侮れない。そんな二人は店の扉を開けると「わっ」と小さく声を上げた。

「雪降ってる!」
「どうりで寒いわけだ」

 冷たい風がピゥ、と店内に舞いこんだ。

「気をつけてお帰りください。風邪ひきませんように」

 満が声をかけると、百合は明るい笑顔で「満くんもね!」と返しナベケンと帰っていった。

 二月半ば。
 外では冬最後の寒さが、町に根を下ろし始めていた。