第二章 チョウチョ集めの虜。

僕は、八つか九つの時、チョウチョ集めを始めた。
初めは特別熱心でもなく、ただはやりだったので、やっていたまでだった。
ところが、十歳くらいになった二度目の夏には、僕は全くこの遊戯のとりことなり、ひどく心を打ち込んでしまい、そのため他のことはすっかりすっぽかしてしまったので、みんなは何度も、僕にそれをやめさせなければなるまい、と考えたほどだった。
チョウを採りに出かけると、学校の時間だろうが、お昼ご飯だろうが、もう塔の時計が鳴るのなんか、耳に入らなかった。
休暇になると、パンを一きれ胴乱に入れて、朝早くから夜まで、食事になんか帰らないで、駆け歩くことが度々あった。
今でも美しいチョウチョを見ると、おりおりあの情熱が身にしみて感じられる。
そういう場合、僕はしばしの間、子供だけが感じることができる、あのなんともいえぬ、貪るような、うっとりとした感じに襲われる。
少年の頃、初めてキアゲハに忍び寄った、あの時味わった気持ちだ。
また、そういう場合、僕はすぐに幼い日の無数の瞬間を思い浮かべるのだ。
強くにおう乾いた荒野の焼き付くような昼下がり、庭の中の涼しい朝、神秘的な森外れの夕方、僕はまるで宝を探す人のように、網を持って待ち伏せていたものだ。
そして美しいチョウチョを見つけると、特別に珍しいのでなくたってかまわない、日なたの花に止まって、色のついた羽を呼吸とともに上げ下げしているのを見つけると、捕らえる喜びに息もつ、まりそうになり、しだいに忍び寄って、輝いている色の斑点の一つ一つ、透き通った羽の脈の一つ一つ、触角の細いとび色の毛の一つ一つが見えてくると、その緊張と歓喜ときたら、なかった。
そうした微妙な喜びと、激しい欲望との入り交じった気持ちは、その後、そうたびたび感じたことはなかった。
僕の両親は立派な道具なんてくれなかったから、僕は自分の収集を、古い潰れたボール紙の箱にしまっておかなければならなかった。
ビン栓から切り抜いた丸いキルクをそこに貼り付け、ピンをそこに留めた。
こうした箱の潰れた壁の間に、僕は自分の宝物をしまっていた。
初めのうち、僕は自分の収集を喜んでたびたび仲間に見せてたが、他の者はガラスの蓋のある木箱や、緑色のガーゼを貼った飼育箱や、その他贅沢なものを持っていたので、自分の幼稚な設備を自慢することなんかできなかった。、それどころか、重大で、評判になるような発見物や獲物があっても、ないしょにし、自分の妹たちだけに見せる習慣になった。