慎吾の母親は、慎吾のことを溺愛していた。

 旦那と離婚してから、彼の母親は女手一つで彼のことを育てていた。

 友達が元々少なかった慎吾が初めて連れてきた親友が悠也だったので、彼の母はいつも悠也に親切だった。

 慎吾の家で食べた夕飯、一緒にしたテレビゲーム。

 それらの記憶が脳裏に蘇る。

「ほら、悠也くんが遊びに来てくれたよ。良かったね、慎吾」

 慎吾の母は、慎吾が眠りについてから懸命に世話をしていた。

 管で繋がれている彼の身体を懸命に拭き、何か異変があればすぐにナースコールのボタンを押して看護師に状態を尋ねた。

 めぐみは毎日、病院に通い、慎吾の母親の邪魔にならないように部屋の片隅で慎吾を見守っていた。

 涙は流していなかった。

 蝉の鳴き声と、慎吾の母親の子守唄だけが病室の中に広がっていた。

 ある日突然目覚めて、いつも通り「俺、事故にあったの?」と言うとその場にいた誰もが信じて疑わなかった。

 秋が過ぎ、冬が来た。

 その日も慎吾は目覚めなかった。

 最初は沢山来ていたお見舞いの数が、ぐっと減っていた。

 埃をかぶり始めた手紙や千羽鶴が部屋の中に溢れていた。

 めぐみは相変わらず、何も言わず彼のことをじっと見つめていた。

 朝のニュースで雪が降ると予報があった。白い息が、口から空気の中へ消えていく。

「あんまり自分のせいだって責めんな」

 病院からの帰り道に悠也が言うと、めぐみは「ありがとう」と力なく笑った。

 クリスマスソングがあちらこちらから流れ始めていた。

「飯でも食ってく?」

「ううん。お腹空いてない」

「ってか、めぐみ全然食ってないだろ」

 痩せ細った身体を指差して、悠也はめぐみに言った。

 元々線の細い身体だったのに、これ以上痩せたらめぐみが壊れてしまう。

 慎吾のことも心配だったが、それ以上にめぐみのことも心配だった。

「ねえ、悠也」

「どうした?」

「私、明日から慎吾のお見舞い行くの、やめるね……」

「どういうこと?」

「辛いの」

 振り絞ったように声を出して、めぐみは言った。

「なんだよ……それ」

 意識不明の恋人を捨てて逃げるのか。

 そんな考えが頭の中に反芻した。

「ごめんね……」

 静かに謝る彼女の瞳には、涙が溢れていた。

 この事件で慎吾の事故を目の当たりにしているのはめぐみだった。

 彼女が辛くないはずがない。

 一瞬でも裏切るのかと言おうとした自分を恥じた。

「俺も気づかないでごめん」

 静かに彼女を自分の腕の中に入れた。

 彼女は悠也の胸元にしがみつき、大声で泣いた。

 悲しくないはずがない。

 嫌いなわけがない。

 ずっと萌が悠也のことを支えてくれていた。

 彼女の母が作った手料理を持ってきてくれたり、話を聞いてくれていたりした。

 しかし、その日を境に慎吾の見舞いに行った後は必ず、めぐみに会いに言った。

 萌には、少し時間が欲しいとだけ伝えた。

 椎名町にあるめぐみのボロアパートまで行き、一緒にご飯を食べて、ただ座って一緒にいた。
 
 テレビもつけず、ただ呆然と過ごすだけ。
  
 慎吾のこともその他のことも一切話をしなかった。

 めぐみはあまり食べなかった。

 弱っていく彼女が倒れたらと恐ろしくなり、荷物を無理矢理まとめさせて悠也のマンションに移動させた。

 まるで同棲するカップルのような生活がスタートした。

 夜は一緒に眠った。

 お互いに、不安な感情を一緒にいることで拭った。

 慎吾の見舞いに行く時以外はずっと一緒にいた。

 慎吾が目覚めるかもしれなかった。

 めぐみとの間に、身体の関係は一切なかった。

 慎吾の見舞いに何度か誘った。

 しかし、彼女の首は縦に動くことはなかった。