最近、凜音がこそこそと何かを書きつけていることに気づいた。めちゃくちゃ真剣な顔で、しかもかなり集中している。それが俺が部屋に入ると、ばばっとその紙をさりげなく隠してしまう。凛音が誰かに会っているという様子はないし、彼女の態度が何ら変わったということもないのだが――。


「……誰かに思い文でも書いているのだろうか」

 ため息をついていると、エリックが呆れたように俺の肩をこづいた。今日は仕事でどうしても王宮に来なくてはならなくて、今住んでいる南の地方から、一泊二日の強行軍でやってきた。仕事終わりにエリックの私室にやってきて、酒と酌み交わしている最中である。彼に会うのも久しぶりなのだが、取るもとりあえず弱音を吐く俺に、友人はうへえと、うんざりした顔を隠しもしなかった。

「リンネに限って浮気とかありえないな。そんなに気になるならリンネに聞いてみたらいいだろ」
「そうなんだが……」
「大丈夫だ。リンネなら真正面から聞けば絶対答えてくれるよ」
「そうだけどな……」
「いいから! もう! 酒がまずくなるから!」
「あ、そういや、リンネがお前にってこれもたせてくれた」
 今朝、家を出る時に彼女が渡してくれた包みをエリックに渡した。
「……! マカロニグラタンじゃねえか! お前どうして最初にこれを出さないんだよ、酒飲んじまって、結構腹が膨れてるぞ、俺」
 文句を言いながら、いそいそとフォークを取り出したエリックに、俺は手を差し出した。
「んだよ?」
「俺の分は?」
 エリックは、心底嫌そうに顔をしかめて、しっしっ、と手を払う仕草をする。
「お前の分なんかないね。毎日リンネの作った美味い飯を食ってるんだろ。お前はそこで一人でうじうじ悩んでろ」
「……」
 食い物が関わると人間の本性って出るな、と俺は目の前の酒を飲み干した。

 帰宅してからしばらくして。
 凛音が相変わらず書き物をしているので、俺はついに心を決めて尋ねることにした。今まで即断即決の俺がこんなに悩んだことはない。凛音が関わると俺は途端に臆病になるのだ。
 
 寝室で、就寝前の一時に思いきって切り出した。
「あのな、お前、なんか書き物してるよな?」
「あ、うん。気づいてた?」
 彼女はあっさりと認めた。
「何書いてるんだ?」
 そこで凛音がほんのりと頬を赤らめたので、思わず抱きしめたくなったがすんでのところで我慢する。どれだけ堪え性がないんだ、俺は。
「前の世界でね、すごく好きだった小説があって……。似た感じで書いているの」
「小説を……」
 俺はおうむ返しで聞き返した。脳がすぐに情報を正しく処理した――良かった、誰かへの書簡ではなかった!
「私は読むのは好きだけど、文才はないから自分のためなんだけどさ」
「ああ」
「その、好きだった小説の登場人物がヴィクターに似てるの。だからなんかインスピレーションが湧いちゃってさ。あと、エリックとかもいるとさ……萌えるから……」
 半分以上言っている意味が分からなかったが、俺はとりあえず彼女が前の世界で好きだったものをこの世界でも再現しようとしている、ということを理解した。
「いや、いいんだ。リンネが幸せだったらそれでいい」
「うん、めっちゃ幸せ。だってリアルケインが目の前にいるから、いくらでも書けるんだもん」
「――?」
 ケインとは? と思ったがあまりにも凜音が嬉しそうに微笑むから、もうそれ以上は聞くのはやめにした。

 数年後、覆面作家が書く、王国初のBL小説が出版され、超絶ベストセラーになったのはまた別の話である。