(可愛すぎる…!)

 俺は思わず彼女をぎゅっと抱き寄せた。今は庶民に紛れているので、貴族のしきたりを忘れていつもより少しだけ大胆になれる。彼女のほっそりした身体は俺のもう一つのパーツであるかのようにしっくりくる。俺はポケットからブレスレットを出すと、それを彼女の手首に恭しく嵌めた。

「わ、なんて綺麗な細工なんだろう――ヴィクターの瞳の色だね。高くなかった? でも、ありがとう! 大切にする」

 彼女が今の流行を知っているかはわからない。けれど、ためすすがめつブレスレットを眺めながら、彼女が心から喜んでくれるのが伝わってきて、俺は嬉しくなった。しばらく二人で並んで夕陽が沈むのをみていたが、凜音がぽつりと呟いた。

「最近思い出したことがあってね」

「ああ」

「私がこの世界に来る前の、最後の記憶」

 俺は彼女を見た。いつもは簡単に視線がかみ合う彼女はいまは俺から目を逸らし、しばらく眼下に広がる景色をみていたが、やがて意を決したかのように強い光をそのエメラルドの瞳に込めて、俺を見た。

「聞いてくれる?」

「もちろん」

 彼女が川べりを歩きながら話したいというので、ゆっくり二人で歩き出した。彼女の腕は、俺の腕の内側に絡まっている。

「私、何回思い出そうとしても、最後の記憶だけがどうしてもはっきりしなくって。だけどこの前寝込んでから、ちょっとずつ思い出すようになったの」

 最後の記憶は、夜、仕事場の本屋を出たところから始まっているという。本屋を出て、家に帰るべく歩いているときにどうも後ろからライトに照らされ、そのあとに強い衝撃と共に車に追突されたような気がする、と彼女は言った。車というのは馬車のような移動手段で、ぶつかると死に至るような怪我をすることもある、と凛音は説明してくれた。

「本当に車に轢かれたかどうかは覚えていないの。だから私の勘違いかもしれない。だけど、アリアナが自殺未遂をはかって、もう手遅れだとお医者様に言われていたことを思うと全く無関係とは思えなくて」

「――凛音」

 凛音が言わんとしていることは俺にもすぐに分かった。凛音が肉体的に死んで何らかの神のいたずらでアリアナの身体に意識が宿ったと彼女は考えたのだ。

「私、死んじゃったのかな、ここにいる『私』は一体誰なんだろう」

「凛音は凛音だよ、他の誰でもない」

「じゃあアリアナは一体どこへ?」

 凛音から、アリアナの日記を見つけたことは聞いていた。

 アリアナはつんとした顔の下に人とのつながりを強く望んていたこと。彼女が自分のしでかしたことを強く恥じて消えてしまいたいと願っていたこと。彼女を昔から知る――といってもそんなによくは知らないのだが――身としてはアリアナがそのようなことを書き遺しているということは驚きでしかなかった。優しい凛音らしくアリアナのことを助けてあげたかった、というようなことを言っていたが――もしアリアナがアリアナのままだったら俺は凛音には出会えていない。

「それは分からない」

 日が沈み、辺りにはじわじわと闇が迫ってきていた。俺はそっと手を伸ばして、凛音の指を握った。

「分からないけど、お前はまだ生きたかったんだろ。だからここにいる。お前がアリアナの身体で目覚めてくれたから、俺はお前と今一緒にいれる。アリアナには悪いけど――俺はお前にずっと傍にいてほしい」