気づいたら侯爵家の馬車は戻されていて、帰りはシュタイン公爵家の馬車で送って行ってもらうことになった。シュザンナに暇の挨拶を告げた後、豪華なシュタイン家の玄関ホールに降りると、今日も凛々しい私の求婚者の姿があった。
 ヴィクターにエスコートされ、既に何回か乗せてもらっているシュタイン家の馬車の中に乗り込んだ。大柄なヴィクターからは最初に一緒に馬車に乗ったときは圧を感じたものだが、今やその存在にも慣れ、すっかりリラックスしている私がいる。

「今日会えるなんて思っていなかったらとても嬉しい。お茶に誘ったシュザンナに感謝だな」

 ヴィクターが席に着くや否や、微笑みながらそう言った。

 本当にこれがあのヴィクトル・シュタインなのか? というほど、最近の彼は私の前では感情が駄々洩れである。そうやって彼が心を開いてくれるようになると、私も貴族令嬢を装うのが難しくなり、『皆原凛音』の素の顔が出てきてしまう。ヴィクターは私がくだけた口調で話すのを殊の外喜ぶので、最近は仮面をかぶるのをやめている。

「シュザンナはとてもいい子だから、お茶するのも本当に楽しくて」

「凛音がシュザンナのいいところを引き出してくれてるんだ、あいつがいい奴なんじゃない」

 どこか拗ねたような口調だ。これはきっと先ほど追い出されたのを根に持っているに違いない。とはいえシュタイン兄弟妹は基本的にとても仲がいいので、気にするほどでもないだろう。

 ヴィクターは、私に求婚すると決めるとさっさと親に宣言をし、足繁く侯爵家に通うようになった。シュタイン公爵と公爵夫人にはアリアナが記憶喪失になり人が変わったようになってしまったのを俺が支えたいんだ、などと適当にそれっぽさを交えて喋ったらしい。

 社交界に流れる息子の放蕩者としての噂に胸を痛めていた彼の両親は、息子が結婚しないよりは、と認めてくれたとか。アリアナの今の人格について、シュザンナとエリックが口をそろえて褒めてくれたのも大きかった。家柄としては申し分がなく、両家の関係も良好すぎるほど良好で、そういう意味では何の問題もない良縁なのだ。

 その後、そんなことになっているとは思っていなかったらしく驚いていた侯爵と共に内々の挨拶を兼ねて、シュタイン公爵家を訪れた時には、家族みんなで歓迎してくれた。今では公爵も公爵夫人も、なんならアレク様も私のことを妹のように可愛がってくれているので、そうなればそうなると、私を独り占め出来ないといってヴィクターはひどく焼きもちをやく。

 晴れて正式に求婚者としての立場を整え――とはいえアリアナのスキャンダルもあるので求婚の事実はまだ公にはなっていないのだが――、私と二人で話す機会が増えると、彼はまず『皆原凛音』としての人生について、私が生きてきた世界について、事細かく聞きたがった。
 
 賢い人だから勿論、未知の世界に対する知的好奇心も刺激されるのだろうが、本当に私に興味があるのだな、と思わせる熱心な聞き方だった。ヴィクターが最初に言っていた、お互いに理解する、ということの意味を彼はよく分かっているのだと思った。私という人間を理解するために必要なステップであることは間違いないからだ。

 私も彼によく質問をする――過去についても、今の彼を作り上げていることならなんでも。彼はとても進歩的な考え方で、例えば貴族の世襲制にも否定的だし、貴族女性の在り方についてももっと貴族男性と同じような権利を認められていていいはずだ、なんて当たり前のように言ったりする。貴族男性を他にあまり知らないから何とも言えないが、きっとこんなフラットな考え方をする人は多数はいないはずだ。

 時々、他の人に聞けないようなこの世界の細やかな疑問を投げかけてみたりもする。どうしてご婦人の年齢をはっきりとは言わないの? とか、メイドの名前を聞かないのは何故? とか。彼にとっては当たり前でおそらく疑問にも思わないような問いにも丁寧に答えてくれて、一度初歩的な質問ばかりでごめんね、と謝ると、彼はこういうことが不思議に思うということは逆に私の世界を知ることにつながる、とても興味深く思っているから悪いと思わなくていい、と言われてしまった。