目覚めたアリアナは、俺の知っているアリアナとはほんの一欠けらも同じではなかった。侯爵が、医師の指摘通りに、別人の魂が乗り移っているというのをすぐに信じたのも至極納得だった。

 性格は明るく、責任感があり、俺の知らない知識をたくさん持っていて、そして一番大切なことは、精神的に成熟していることだ。そんな魅力的なリンネのことを俺はすぐに好きになった。縁もゆかりもない侯爵家のために少しでも役に立とうと奮闘している彼女を見守りながら――リンネのことをきっとヴィクターはとてつもなく気に入るだろうな、と考えていた。

 ヴィクターも俺と同じ仕事をしているのに、ふらふらしている俺とは違い、酒はともかく女には手をつけず清いまま。高潔な彼は自分だけの女神をずっと待ち続けているのである。そして親友の勘として――彼はこういうリンネのような女性に惹かれるのではないか、と。

 そもそも俺が呼び戻された主たる理由がシュタイン家の舞踏会へのエスコートのためだったので、これは面白くなるぞとほくそ笑んだのだった。

 ☆☆☆

 案の定、最初の舞踏会でヴィクターはリンネに釘づけになり、その時はまだ記憶喪失、としか言えなかったが、俺は散々リンネの自慢をしてやった。
 実際彼女の作るご飯は相当うまいし、性格は可愛いしそれなのに話は面白いし、頭もいい(以下略)。

 自分が騎士団に戻った後のエスコートを彼に頼むことを告げるとヴィクターはそれを受け入れた。醜聞にまみれたアリアナのエスコートを引き受けるということがどういう風な影響を社交界に与えるかを重々承知しているのに、である。これはリンネに惹かれているからということに他ならない。

 俺が王宮に戻ってからも時々ヴィクターとは仕事で一緒になり、仕事終わりに夜に二人で酒盛りをしたときにそれとなく水を向けてみると、

「エリックのことは名前で呼ぶのに俺のことはいつまでも様づけだ」
「女どもに俺に近づくなと嫌味を言われているのに全く気にしてないのは俺のことを何とも思っていない証拠だ」
「シュザンナを紹介したら、今じゃすっかり妹にアリアナをとられた」
「子供が可愛いといってニコニコしているアリアナが可愛くて仕方ない」

 という主旨の話を、なんとはなしに言葉を濁しながらしかしはっきりと愚痴るのだから、かなりの拗らせっぷりであった。ただ彼の中で、あのアリアナに対して、記憶がなくなったからといってこんな風に自分の気持ちが突然変わるのがどうしても納得いかないらしく、彼自身自分が恋に落ちていることを認めたくないと頑固に踏ん張っている節があるのも知っていた。

 であれば、あと一押し。
 教えてあげるだけだ、アリアナの中身が別人だということを。

 三人でリンネの手料理を食べた後、酔いに任せて、遂に真実を話してやった――あれもこれもと根掘り葉掘りリンネについて聞いてくるヴィクターの執拗さと情熱には内心辟易したが、まぁそれだけ彼女に夢中なんだろう。ヴィクターの優秀さは、同じ仕事をしているからよく分かっている。彼は策略家だし、頭もよく回るから、リンネのことをどうやって手に入れるのかその緻密な脳で作戦をよく練るに違いない。


 賽は投げられた。
 俺に出来ることは、兄として、親友として、傍で見守るだけである。

 少しだけ揶揄わせてもらうくらいの楽しみは許してほしい。
 俺はどれだけリンネに惹かれても―――兄である以上、手出しはできないのだから。