「前は窓の外が遺体廃棄場だった」













 


 翡翠には、何の問題もなかった。怖いほどに。


「静かすぎる?」

「私がここに来て十年、多くの囚人を見てきましたが一際大人しい。拘置所は察しの通り堕ちた人間の吹き溜まりだ。配属当初は女を理由に唾をかけられ舐められた挙句格子越しに胸や尻に手を出されたこともあります。同期の女性刑務官は心身に支障を来し、今は実家で家族の介護、他の者もそうです。口を揃えて生きる世界が変わったと」

「蓉、きみもこれからそうじゃないか。辞めて何をするんだい? 大人しいがなんだ、よかったじゃないか。残り七日、このまま何もなく彼の死刑執行を待てばいい。私は最後の最後におまえに壊れて欲しいと思っていない」

「辞めようと思ったのは見つからないからです。こんなことをしていても」

「………父上のことか?」


 人で賑わう食堂でカレーライスの最後の一口を頬張り、スプーンを放る。「お先に、」と夏莫尼看守部長に会釈をすると、配膳返却口にトレーを置いて廊下を抜ける。制服の肩の埃を払い、帽子を目深に被った。








 父を殺した人間を探している。

 幼少期、同じ家に住み、早くに亡くなった母の代わりに男手一つで育ててくれた父のことだ。近所でも心優しく人がいいことで有名だった。いつも笑顔だった。大きな手のひらで、その大きな身体で。斧を持ち、木樵(きこり)の仕事をする広い背中を家の中からいつも見ていた。

 周りになんの家もない、森や木で溢れた、少し街の外れにあるロッジ。その景観と、








 法律。


「カレーを食べましたか」


 父の笑った顔を瞼の裏に思い浮かべていたら、格子の中から話しかけられた。翡翠だ。歯は磨いた。時間がなかったから、手早めにだが。口を抑えて顔を伏せる私に、男は壁にもたれたまま天窓を見ている。


「いいですね。ただ、ちょっと鼻につきますが。貴女の匂いがわからなくなる」

「…おまえも他の連中じみたことを言うんだな」
「褒められたものではない。死臭だ」


 顔を上げる。天窓を見ていたはずの翡翠の目が、私を真っ直ぐに見ていた。