そして彼は朱華におまじないをしてくれた。恐い夢を見ないおまじない。
 それでも朱華のなかにはちいさな闇鬼が潜んでいた。未晩はぜんぶ自分が代わってあげると言ってくれたけど、すべてが浄化されることはなかった。禁術を発動したことで集落ひとつを滅ぼすきっかけを生み、結果的に父を殺してしまった朱華は、未晩のおかげで生きつづけることはできたが、罪悪感という名の闇鬼に囚われたままだったのだ。

 逃げるように雲桜を離れた朱華は未晩とともに竜糸に落ち着いた。何事もなかったかのように診療所を開き、ふたりは平穏な暮らしを愛するようになる。
 至高神が自分の有り余っていたちからを花神から預けられたと知ったのは、そのときだ。十七歳の誕生日を迎えたら、ちからは返却されるが、そのためには土地神の神嫁になることが必要だと、一方的に宣告された。そしてそれを見守る番人が、至高神より任を与えられた未晩なのだ、と。

 けれど未晩は笑っていた。そんなことはさせないよ、封じられたちからなど朱華には必要ないだろう? そんなものでまた幽鬼との争いに巻き込まれたくないだろう? いつまでも僕と一緒にいよう、結婚しよう……そう言って、求婚してくれた。
 幼かった朱華は見ず知らずの神の花嫁になるより、未晩と一緒にいられることの方が魅力的だった。だから、彼のお嫁さんになれるのが、嬉しかった。初めて、口唇同士で啄ばむような接吻もした。

 ――それからだ。自分の出生を『(ルヤンペアッテ)』と偽るようになったのは。

 ほんとうは世界をも変える『雲』のちからを持つ、紅雲の娘であるにも関わらず。
 土地神の花嫁候補である裏緋寒の乙女として、神殿に目をつけられていることも隠して。

 そして月日は流れ、朱華の誕生日まで一月を切ったあたりから、彼女は茜桜と再会したのだ。夢のなかで。それを知った未晩は嫉妬からか、執拗に朱華の唇を求めるようになった。
 だけど……どこまでが真実なのか、朱華には判断できない。だって未晩の魂はもう、この世界に存在していないのだから。ただ、哀しい想いをさせたくないから都合のいい解釈をさせようと彼によって記憶を一部、塗り替えられたのだと、誰かが朱華に言っていたような気もする。それが誰だか思い出せなくて、朱華は苦悩する。