鍵は開かれた。記憶の封じは破られ、朱華はすべてを思い出す。雲桜が滅んだ前後に、彼女が経験したすべてを。
 茜桜が与えたという莫大な『雲』のちから。生まれながらにふたつ名を賜れた花神のための花嫁だった朱華。『天』をも凌ぐ秘められたちからとは一体何なのだろう。それはちから無き逆さ斎、月の影のなりそこないと蔑まれた未晩を虜にした。至高神が仕組んだのか、それとも神々でも計算違いを起こしたのか。たぶん、後者なのだろう。そして神々は面白がってさざめき合うだけ。誰が真の神嫁を手に入れるのか。

「最初から、わかっていたんだけどね」

 竜神でも、未晩でもない。彼女をほんとうに求めていたのは……

「なにをぐちぐちしておる、颯月(そうげつ)。凶暴な幽鬼がおぬしの求める娘がおる神殿を襲いに行ったぞ?」
「――至高神!」

 いきなり舞い降りてくる天神はすべてお見通しだとでも言いたそうにニタリと笑う。自分の前に現れることなど、いままで一度もなかったというのに……いや、二度目か。
 颯月は苦笑を浮かべて小柄な少女を見つめる。里桜の侍女見習いだった氷辻のなかに、『天』の、消えた大樹の気配が残っている。里桜の言うとおり、ここに大樹の想いが残っている。

「間違っているかどうかなど、すべてが終わる前から悩むでない。いまできることをしなければおぬしが望む彼女は、あの幽鬼に殺されてしまうだろうよ」
「なぜ……?」

 まただ。邂逅する都度、彼女は自分に助言をする。自分は神と敵対する幽鬼であるにも関わらず、彼女だけは、自分の存在をこの世界で受け入れてくれる。

「おぬしは相変わらず疑問ばかり投げかけてくるのだな。幽鬼だからすべてを廃するほど、神と呼ばれる存在は非情ではないぞ? それとも怖いのかえ? ずっと想いつづけた彼女に自分の正体を晒すのが」
「そりゃ、怖いですよ。ボクは幽鬼でありながら至高神に与えられた『風』のちからで彼女に控える桜月夜になることが叶ったんです。ここで欲を出してしまったから、こんな事態になってしまった……彼のなかの闇鬼を幽鬼に戻してしまったから……」
「誰にでも間違いなどある。おぬしだけが悪いのではない。裏緋寒の番人がおぬしのなかの幽鬼のちからを求めたからだろう?」
「……なぜ、それを」

 触れられたわけでもないのに、ぞくりと背中に氷を入れられたような感覚に陥る。とけて滴り落ちてくる氷水のように身体を伝ってくる至高神の言葉に、颯月は動揺を見せながら、小声で言い返す。

「神とはそういう気配に敏くなければ生きていけないのじゃ」