神気が竜糸の地へまんべんなく降り注いでいく。膨らみかけた桜の蕾はその勢いに気押されて驚いたように花を開いていく。白と、淡い紅色の菊桜の花が、神殿の周囲を囲うように鈴なりに枝垂れ、薄暮の空めがけて一気に染め上げていく。

「――裏緋寒の記憶を戻したのかな?」

 その事態に、未晩が顔色を赤くする。桜花よりも真っ赤な、憤怒の表情だった。

「朱華の記憶が、戻った……そんな」

 そしてふたたび吐血する。赤黒い血を吐きながら、未晩は押し寄せる神気に顔を顰める。立てつづけに自分の術を破られた未晩は、至高神に返された呪詛の衝撃だけでなく、別方向からも返しが襲ってきたのだ。赤かった顔色もすでに冷め、青ざめた表情はすでに土気色に毒されている。

「朱華は、誰にも渡すものか……ならば、雲桜のようにオレが竜糸を滅ぼしてやろう」

 それでも、執念だけで未晩は立ち上がる。亡霊のように身も心も幽鬼となってしまった彼には、すでに少年の姿も見えなくなっていた。

「未晩?」

 その変化に気づいた少年は、ぎょっとしたように未晩を見つめる。未晩は身体を傾いだ状態のまま、自らが吐いた血で染まった衣をまとった姿のまま、飛び出して行った。
 真っ赤な禍々しい瞳が、ついに彼の良心を喰い破ったことを証明している。


「……あーあ。堕ちちゃった」


 少年はつまらなそうに呟き、術を放つ。
未晩が吐いた血に群がる瘴気は、少年の詠唱によって、四散した。闇鬼を生じさせない程度の薄さにしておけば、竜糸の民を巻きこむ心配は減るだろう。自分は竜糸の土地を滅ぼしたいわけではないのだ。未晩に封じられ、なかで闇鬼として飼われることになった幽鬼に従って雲桜を滅ぼしてしまったとき、もう二度とこんな想いはしたくないと、痛感してしまったから。
 逃げまどう民を追いかけまわし、殺しては喰らい、弄んでは殺し、神を滅ぼす。その過程で見つけた少女の烏羽色の瞳が、悲しみで曇る姿に、少年は魅入られた。幽鬼を殺す逆さ斎になると決意したばかりの、九重と呼ばれた少女……いや。

「里桜さま」

 自分が護ると決めた、逆さ斎の代理神。彼女が竜神の代わりに命を削ってまで集落を護っている姿を、自分はこれ以上見たくない。幽鬼であることを隠し、桜月夜として彼女とともに生きることができるだけで良かったはずなのに、彼女が眠りつづける竜神のせいで死に急ぐ現実から、目を背けられなくなってしまった。それは、大樹が姿を消したことで、余計に強い苛立ちへ変化した。そして、自分もまた、許されざる想いに火をつけてしまったのだ。