たとえ裏緋寒の番人だった未晩が至高神を裏切ろうが、朱華に封じられた花神の加護はあと二日で解き放たれる。それが、至高神とその息子、花王の神が交わした誓約だから。
 だというのに、至高神はいま、なんと言った?

「――そんな、ことが」
「裏緋寒の番人がそなたに施した忌術は完全なものになりつつある。一晩でこうも逆さ斎の色が抜けるとは妾も思わなかったがのう……いまのそなたは神皇帝に選ばれた代理神の半神でも逆井一族に連なる逆さ斎でもない、神と対話をすることすら憚られるただの紅雲の娘じゃ。それは逆に、『雲』のちからを発揮するにはもってこいな状況になる。どうかの? いっそのこと、表緋寒から裏緋寒に、そなたが成り代わり、莫迦息子の嫁になっては」

 朱華に返すはずの花神のちからを、至高神は里桜に渡せるのだと暗に告げる。神々の誓約を、自ら破棄しても構わぬと豪語する。どこまでも気ままで、傲慢で、自分勝手な、この世界に遊ぶ、哀れな女神。

 もし、ここで里桜が頷いたら、朱華はどうなるのだろう。竜頭の花嫁として神殿に迎えられたはずの彼女が、手にするはずのちからを、里桜が、奪い取って、裏緋寒の資格を手に入れたら……

 地に従う逆さ斎となった里桜には許されざる願望だった、土地神の花嫁。その願いを、至高神は叶える手段を持っている。だが。

「……何が目的なのです?」

 腑に落ちない。取引を持ちかけている彼女の方に、何の得があるのだろう。

「目的とな? そんなもの存在せぬ。ただ、その方が面白そうだと思ったからじゃ」
「――お断りします」

 その言葉が、決め手になった。この神は、竜糸の将来がどうなっても別に構わないのだ。竜頭が死んだらそれまでのことと見切りをつけて、また別の集落に悪戯を仕向ける。
 神々と幽鬼の戦いに人間を巻きこみながら、高みで見物することしか許されない、唯一の、孤高の神。かの国を興した始祖神の姐神であろうが、竜頭の代理神として竜糸の集落を守護してきた里桜からすれば、強いちからを持ちながらひとびとのために尽くせない至高神など、必要ない。
 それに、里桜は幽鬼を滅することのできる逆さ斎のちからを、雲桜が滅亡したことを端に自ら手に入れたのだ。そのちからを失った状態で、雲桜の、死んだ土地神が別の少女のために遺したちからを自分のモノにするなど、持ち前の矜持が許せない。

「あたくしは、逆井里桜。この忌術によってちからを奪われようが、あたくしは逆さ斎として、竜糸に危機をもたらす幽鬼を滅ぼし、竜頭さまのために、この身を尽くします」

 表緋寒だろうが裏緋寒だろうが関係ない。
 里桜は逆さ斎になることを、選んだのだ。土地神の花嫁になりたいからと任務を放棄するほど、もう、子どもでもない。

「そうか」

 婀娜っぽい笑みを浮かべて少女は応える。まるでわかりきっていたかのように。